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第4の時代 第8書第10章 ポルトガル軍のアラビア海支配

  【 4-8-10 】 海峡の航海でディオゴ・ダ・シルベイラに起こった出来事。そして、ドム・ペドロ・デ・カステロ・ブランコがキャラベル船団を率いてゴアに到着した経緯。 【 Summary 】 ディオゴ・ダ・シルヴェイラはチャウルを出航し、アラビア海岸とフェリックス岬付近でカンバヤやアチェの船を捕獲、戦利品をマスカットまで運び、ガレー船でオルムズに冬越し。総額約 8 万パルダオの収益を得た。一方、ドン・ペドロ・デ・カステロ・ブランコ率いるキャラベル艦隊はモザンビーク経由でゴアに到着。総督ヌーノ・ダ・クーニャは港で歓迎し、艦隊員に宿舎を与えた。これらの艦隊によってインドの港は十分な船と人員で整備され、各船の船長や士官は恒常的に任命され、迅速な出航と作戦遂行が可能であった。当時のインド運営は効率的で人材も豊富であり、戦争・補給・財政管理は秩序立って行われたが、後に管理の不備や兵士の金銭優先による衰退が起こった。 #Diogo da Sylveira #Chaul #Costa de Arabia #Monte de Felix #Cambaya #Achem #Mascate #Ormuz #Dom Pedro de Castello Branco #Mossambique #Goa #Dom João Pereira #Dom Gonçalo Coutinho #Nuno da Cunha #Dom Antão de Noronha #Ribeira d'elRey  

第4の時代 第4書第1章 ロポ・ヴァス勝訴とペロ・マスカレーニャス帰国

 第4の時代 第4書第1章 【 4-4-1 】新たに加えられた判事たちについて。ロポ・ヴァス・デ・サンパイオに対して判決が出された次第。ペロ・マスカレーニャスが〔ポルトガル〕王国へ向かって乗船した次第。 【 Summary 】 コチンでの総督権争いの裁判では、アントニオ・デ・ミランダが裁判官の増員(フレイ・ジョアン・ダルヴィム、ブラス・ダ・シルヴァ・ダゼヴェド)を決め、ロポ・ヴァスの支持を確保した。審理の結果、ロポ・ヴァスがインド総督として認定され、ペロ・マスカレニャスは王国に帰国することになった。彼は海軍艦隊を受け取りつつも平穏を重視し、王の裁定を待つ姿勢を示した。その後、アントニオ・デ・ミランダは艦隊を指揮し、マルディブ諸島への出航準備を行った。 #AntonioDeMirandaDAzevedo #PeroMascarenhas #LopoVaz #ChristovãoDeSousa #DomJoãoDEça #BrasDaSylvaDAzevedo #FreyJoãoDAlvim #SimãoCaeiro #AfonsoMexia #AyresDaCunha #PeroVazTravassos #DiogoSancho #DomSimãoDeMeneses #AntonioDeBrito #FerrãoRodriguezBarbas #AntonioDaSylva #RuyVazPereira #AnriqueDeMacedo #LopoDeMesquita #RuyGonçalvez #RuyPereira #FranciscoDeVasconcellos #PeroCelas #FranciscoAlvarez #Cochim #Portugal #India #SãoDinis #SãoRafael #ReysMagos #SãoLuis #Çamorim #Bicha #Maldiva #Meca #Maluco #Comorim #Dio  

第4の時代 第3書第9章 コーチン調停の混乱と裁定者の増員

 第4の時代 第3書第9章 【 4-3-9 】コチンで総督たちの間に生じた意見の相違について。ロポ・ヴァス・デ・サンパイオの側に立つ裁定者が二人増えた次第。その後に起きたこと。 【 Summary 】 コチンでのポルトガル領インド総督権を巡る紛争では、ロポ・ヴァスとペロ・マスカレニャスの対立が激化した。アントニオ・デ・ミランダは両者の間で裁判官の選定や署名・誓約の実行を仲介したが、ロポ・ヴァスは当初、変更に激怒した。紛争が武力衝突に発展する危険があったため、最終的に両者は船舶の移動と誓約により一時的に権限を退き、平和的に裁判官による審理を進める体制を整えた。アントニオ・デ・ミランダは海軍司令官として総督間の調整と安全確保に尽力した。 #AntonioDeMirandaDAzevedo #PeroMascarenhas #LopoVaz #ChristovãoDeSousa #AfonsoMexia #FreyJoãoDAlvim #EitorDaSylveira #NunoVazDeCastelBranco #VicentePegado #JoãoDeSá #SimãoDeMello #MartimAfonsoDeMelloJuzarte #JoãoDeMendoça #RuyPereira #AntonioDaSylveira #FerrãoDeMorais #DiogoDaSylveira #Cochim #Coulão #Goa #SãoDinis #SãoRoque #FrolDeIaMar #India

第4の時代 第3書第8章 インド総督権争いの調停とコチンへの出発

 第4の時代 第3書第8章 【 4-3-8 】ロポ・ヴァス・デ・サンパイオに調停案を見せた次第。彼(ロポ・ヴァス)は、これを達成することを誓い、係争中の問題について裁定されることになっているコチンに出発した次第。カンヌールでペ〔ド〕ロ・マスカレーニャスとの間に起きたこと。 【 Summary 】 1527 年、ポルトガル領インドでの総督権を巡り、ペロ・マスカレニャスとロポ・ヴァスの対立は、チャウルとゴアでの調整により進展した。アントニオ・デ・ミランダは両者の合意と七人の裁判官による紛争解決を仲介し、署名と誓約により両総督の権利を尊重する条件を整えた。ロポ・ヴァスは一旦承諾し、ペロ・マスカレニャスも自らの権利保護を確認。最終的に全関係者は署名と誓約を行い、総督権は裁判官による審理待ちとし、両者は一時的に権限を放棄して平和維持に努めた。アントニオ・デ・ミランダが海軍司令官として両総督を監督・調整する役割を果たした。 #AntonioDeMirandaDAzevedo #PeroMascarenhas #LopoVaz #DomSimãoDeMeneses #ChristovãoDeSousa #AntonioDaSylveira #DomJoãoDEça #FreyJoãoDAlvim #BastiãoPirez #LopoDAzevedo #AntonioDeBrito #NunoVazDeCastelBranco #TristãoDeCal #FranciscoPereiraDeBerredo #BaltesarDaSylva #GasparDePaiva #JoãoDoSouro #AntonioRico #Chaul #Goa #Cochim #Cananor #SãoDinis #SãoRafael #Aguada #India

第4の時代 第4書第7章 インドの両総督の和解協定と権限調整

 第4の時代 第4書第7章 【 4-3-7 】アントニオ・デ・ミランダ・デ・アゼヴェード がペ〔ド〕ロ・マスカレーニャスに服従すべく与えた署名入り書簡について。そのアントニオ・デ・ミランダとクリストヴァン・デ・ソウザがふたりの総督間の問題について合意したこと。 【 Summary 】 1527 年、ポルトガル領インドでの総督権を巡り、ペロ・マスカレニャスとロポ・ヴァスが対立した。海軍司令官アントニオ・デ・ミランダ・ダゼヴェドは、ペロの正当性を認め、ロポ・ヴァスが正当に従わなければ全軍をペロに従わせる旨の署名を与えた。両者は秘密裡に七人の裁判官を選定して紛争解決を図り、将来の権力行使や財産、家族への干渉を禁止する条件で合意。クリストヴァン・デ・ソウザやドム・シマオンらも協力し、チャウルやゴアでの艦隊と要塞管理を調整。最終的に全関係者が署名し、両総督の権利保護とインドでの平和維持を図った。 #Antonio de Miranda d'Azevedo, #Pero Mascarenhas, #Dom Simão, #Christovão de Sousa, #Lopo Vaz, #ElRey, #Antonio da Sylveira, #Francisco Pereira de Berredo, #Afonso Mexia, #Gaspar de Paiva, #Baltesar da Sylva, #Dom João d'Eça, #Frey João d'Alvima, #Frey Luis da Vitoria, #Eitor da Sylveira, #Dom Simão de Meneses, #Gaspar Afonso, #Cochim, #Goa, #Cananor, #India, #Reino, #Chaul,

第4の時代 第1書第8章 ディウ政変とハージー・マフムードの簒奪

 第4の時代 第1書第8章 【 4-1-8 】ハジ・マムーデがエイトール・ダ・シルヴェイラにその要塞を譲渡するという案を、メリク・サカ〔マリク・イシャーク〕に放棄させたことについて。彼〔シルヴェイラ〕がチャウルへ何の成果もなく立ち去ったことについて。ハジ・マムーデ〔ハージー・マフムード〕 が裏切りにより要塞を手に入れ、カンバヤの王にそれを引き渡した次第。 【 Summary 】 メリク・サカの親族ハジ・マムーデはディウ支配を狙い、サカを陥れようとした。シルヴェイラが総督に相談した際、高官たちは危険を承知でハジの提案に従うよう助言した。その間ハジは軍備を増強し、カンバヤ王も軍を率いてディウに進軍した。サカは家族とともに逃亡し、王は町を占領して統治権をハジに与え、港の関税は王のものとした。以後、このカンバヤ王はエスタード・ダ・インディア最大の敵となり、多くのポルトガル人が命を落とす戦いをもたらした。 #Hag Mamude, #Melique Saca, #Eitor da Sylveira, #Chaul, #Cambaya, #Dyo, #Jaquete, #elRey, #India, #Goa, #Suéz, #Ormuz, #Melinde, #Moçambique, #Rumes, #Goa, #Diogo de Mello, #Persico, #Suez, #Çofala, #Nuno Vaz de Castelbranco, #Francisco de Mendoça, #Reino, #Dely, #Meca, #Jaquete, #quinta do Melique, #Christovão de Sousa, #Dyo, #ilha, #Cambaya

Décadas da Asiaアジアのデカダ集 解題

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『アジアのデカダ集』Décadas da Asia  本書は、ジョアン・デ・バロスJoão de Barros (1469―1570)の歴史書『アジアのデカダ集』の続編としてコウトが著した、インディア領(エスタード・ダ・インディア)の歴史書である。そのフルタイトルはバロスのそれをほぼ踏襲した『ポルトガル人が東方の陸と海での征服と発見に際して行なった数々の行為に関するアジアのデカダ集』である。16世紀前半から17世紀初頭にかけてのアフリカから東アジアに至るインディア領各地の動向を記録したもので、特にインド、東南アジア、西アジアについては、現地語の史資料にはない情報を提供する同時代史料として高い価値を有する。  本書はその書名のとおり、「デカダ」década(ここでは「十書」の意)と題する各巻の集合体である。1595年、国王フィリーペ一世によってコウトがインディア領修史官に任じられた時、バロスの第四デカダは未完だったため、本書はその欠を補うべく第四デカダを起点とし、第一二デカダまでの全九デカダから成っている。各デカダはバロスのそれと同じく、一〇の「書」livroから成っており(最後の第一二デカダのみ五書)、各書は複数の「章」capítuloに細分される。ただし要約版のみが伝わる第八デカダと第九デカダは、書の区分を備えず、章のみによって構成されている(原本が散逸し後代に編纂された第一一デカダも同様)。各デカダの一〇書構成がおおよそ貫徹しているところにはコウトの様式意識を認められるが、各書が含む章の数や分量については差異が著しい。なおコウトの原稿の送付先であり、その出版に尽力した義兄アデオダートが出版までに様々な改作を施し、章の構成も改めていたことが明らかになっている[Seabra 2019: 120 ff.]。版本の構成や内容には著者コウトの意図しなかった改変が含まれていることには要注意である。  青年期以降の人生の大半をインドのゴアで過ごしたコウトは修史官に任じられる前から歴史書の執筆を進めていた(1589年の国王宛書簡で彼はインディア領修史官の任務を請願した)。そのため彼が最初に着手したのは、当代に最も近い時期をカバーする第一〇デカダであった。その後に第四デカダから第七デカダまでが順次執筆されるが、それ以降のデカダは必ずしも時代順に執筆されたわけではない。また原稿が散...