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第6の時代 第9書第9章 ジャワのムスリム軍による総攻撃とポルトガル援軍の勝利

ムスリム勢力が要塞に加えた大攻撃と、その撃退ののち敵軍が要塞を飢えで屈服させようと企てたこと、さらに同じ兵士がその企てを破る新たな策を授けた結果、マレー人が包囲を解いてジャワ兵だけが残ったこと、そしてジル・フェルナンデス・デ・カルヴァーリョがマラッカに到着して敵を打ち破ったことについて。 敵軍は新月の夜に総攻撃をかけ、梯子で城壁をよじ登ろうとしたが、守備側は上から帆柱や梁、火薬壺を落として大損害を与え、撃退した。そこで敵は攻城を急がず、ジャワから来る食糧船を押さえて要塞を飢えさせる策に切り替えた。守将は同じ兵士の進言で、逆に自軍船を出して敵に故国防衛へ戻ったと思わせ、マレー勢を包囲から離脱させることに成功した。直後にジル・フェルナンデス・デ・カルヴァーリョが到着し、残ったジャワ兵の陣を夜明けに急襲して大勝した。多くの敵を討ち、兵糧も確保したが、その後は敵が井戸に毒を入れたため疫病が広がり、守備側にも大きな犠牲が出た。 #Malaca, #Ilher, #Jaoá, #Quedá, #Maluco, #Ternate

第6の時代 第9書第5章 ジョホールのスルタンによるポルトガル反攻計画

ビアンタナ王がマラッカ要塞に対する同盟を結成したこと、そしてその計画を隠してドン・ペドロ・ダ・シルヴァ・ダ・ガマを訪問させた策略について。 かつてポルトガルにマラッカを奪われた王スルタン・アラウディンは、各地を転々としたのちジョホール川の地に拠点を築き、交易を引き寄せて勢力を回復した。やがて彼はマラッカ奪還を決意し、ペラ、パハン、その他の諸王、さらにジャワ沿岸ジャポラ女王とも同盟を結び、二百隻以上の大艦隊を準備した。しかしこの計画は極秘に進められ、表向きはアチェ攻撃の準備と偽られていた。老将ラクシメナは戦争に反対しポルトガルとの和平維持を説いたが、王は聞き入れなかった。艦隊が出航した後、王はラクシメナの息子を使節としてマラッカに送り、要塞の様子を探らせた。マラッカ司令官ドン・ペドロ・ダ・シルヴァ・ダ・ガマは彼を丁重に迎えたが、密かにラクシメナから送られた書簡で敵の計画を知り、警戒を強めた。 #Malaca, #Bintão, #Viantana, #Muar, #Tangór, #Jor, #Perá, #Pão, #Jaoá, #Bancallis, #Camatra, #CaboRechado, #Achém

第6の時代 第5書第2章 ポルトガルのアチェ艦隊に対する勝利

どのように我らの艦隊がパルレス川で敵を発見したか、また我らが勝利を得た戦い、さらにイエズス会士フランシスコ・ザビエル神父が説教中にその勝利を神示によって知り、直ちに人々へ告げたことについて ポルトガル艦隊はクダ川を出航し、翌夕パルレス川に到着した。偵察により敵のアチェ艦隊が川上三レグアに停泊していると判明し、総指揮官ドン・フランシスコ・デサは攻撃を決定した。ディオゴ・ソアレス・デ・メロが水路を測り、軽くしたカラヴェラ船を川へ進入させて待ち伏せの準備を整える。偵察の結果、敵はポルトガル船を商船と誤認して警戒を解いた。翌 1545 年 12 月 6 日、両軍は川で遭遇し戦闘が始まる。ポルトガル側の砲撃が敵ガレー船を貫いて沈め、続いて接舷戦となり激戦が展開された。ディオゴ・ソアレス・デ・メロは自ら敵ガレーに乗り込み全員を討ち取り、他の船も撃沈または拿捕された。戦闘は午前九時頃に終わり、川は血で赤く染まった。追撃も議論されたが、同盟国の領内での戦闘拡大を避け撤退が決まった。一方マラッカでは、敵来襲を恐れていた人々の前でイエズス会士フランシスコ・ザビエルが説教中に突然神示を受け、ポルトガル艦隊がアチェ艦隊に勝利したと告げた。数日後、実際に勝利の報が届き、人々は歓喜し神への感謝を捧げた。 #Parlés, #Quedá, #Malaca, #Achém, #Perá, #Pulo Botum, #Pegú, #Muar

第6の時代 第5書第1章 テルナテ遠征とアチェの対マラッカ艦隊

ベルナルディン・デ・ソウザの遠征で起こった出来事、またアチェの艦隊がマラッカへ向かったこと、さらにドン・フランシスコ・デサがそれを追撃し、その途中で起こった出来事について ベルナルディン・デ・ソウザは 1545 年 12 月初め、テルナテ島を掌握するため艦隊で到着した。彼は密かに上陸して要塞に入り、守将ジョルダン・デ・フレイタスに王の到来を知らせず指揮権を受け取った。その後、捕らえられていた王を上陸させ、数日後に住民と首長を集めて儀式を行い、ポルトガル王の名のもとに王国を正式にアエイロ王へ返還し忠誠を確認させた。一方マラッカ周辺では、ヴィアンタナ王スルタン・アラウディンシャーがパタニ王との対立から諸王を集め、約 300 隻・ 8000 人の大艦隊を編成した。マラッカの隊長シモン・デ・メロは、パタニにいたディオゴ・ソアレス・デ・メロへ退去を勧め、彼は 70 人ほどのポルトガル人とガレー船で帰航する途中この大艦隊に遭遇したが、諸王は友好関係にあったため訪問して礼を交わし、港でモンスーンを待つ許可を得た。さらに同時期、アチェ王が 20 隻の艦隊を送りマラッカ近海で掠奪を行ったため、守備隊長シモン・デ・メロはドン・フランシスコ・デサを指揮官として追撃艦隊を編成した。艦隊はペラからクダ方面へ進み敵を追ったが、補給不足を理由に帰還を主張する者が現れ動揺が起こる。これに対しディオゴ・ソアレス・デ・メロが激しく叱責して士気を保ち、艦隊はさらに進んでパルレス川方面へ敵を追撃することになった。 #Ternate, #Malaca, #Bintão, #Viantana, #Patane, #Perá, #Pão, #Jor, #China, #Calatão, #Achém, #Sabão, #Queda, #Pulo Botum, #Parlés

第6の時代 第1書第3章 ソアレス・メロとペグー軍のアラカン遠征

  「ディオゴ・ソアレス・デ・メロがパタネへ向かう途中に起こった出来事、いかにしてペグーに至り、同国王とともにアラカン王に対して出陣したか、そしてパタネに到着するまでに彼に生じたことについて。」 シモン・デ・メロとディオゴ・ソアレス・デ・メロはマラッカへ向かう途中、セイロン島を過ぎニコバル湾に入ったところで暴風に遭う。堅牢なガレオン船のシモンは持ちこたえてマラッカに到着したが、ディオゴは流されてペグー沿岸に漂着した。そこでアルヴァロ・デ・ソウザと合流し、当時アラカン討伐を企てていたペグー王(ブラマ王)に請われて遠征に参加する。王は大軍と多数の船を動員したが、険しい山脈に阻まれ進軍は難航した。さらにベンガル湾で再び暴風に遭い艦隊は離散、ディオゴは辛うじてペグーへ戻る。王は遠征を断念して帰国し、贈物や船を与えて彼の出立を許した。ディオゴはその後マラッカを経てパタネに赴き、商人をマラッカへ誘導して関税収入の増加に寄与した。 #Malaca, #Ilha de Ceilão, #Nicubar, #Pegú, #Arracão, #Bengala, #India, #Goa, #Patane

第4の時代 第9書第3章 グジャラートのスルタン・バハードゥルのチトール侵攻とポルトガルとの親交

  【 4-9-3 】 スルタン・バドゥルがチトール王国に攻め込み、その都市を占領したこと。そして、シモン・フェレイラがバドゥルと面会したこと。そして、ヌノ・ダ・クーニャ総督がゴアに向けて出発する準備をしたこと。 【 Summary 】 スルタン・バドゥルはチトール王国へ遠征し、約 50 万の兵力を率いてチトール城を包囲、要塞化された険しい山を爆薬で突破。ポルトガル人捕虜ディオゴ・デ・メスキータらが前衛として戦い、王妃と息子を捕虜にした。バドルはチトール城と周辺都市を占領し守備を配置した。使節シマオン・フェレイラはアマダバでバドルに会い、総督の書簡と贈り物を渡して和平を確認。捕虜は返還され、金品が与えられた。その後、総督はバサイム要塞の防備を整え、物資を補充。 3 月にアントニオ・ダ・シルヴェイラをバサイムの新任指揮官に任命し、オルムズの管理も整備した。ゴアでマラッカ・マルク諸島の支配や遠征準備を進め、シマオン・フェレイラらを歓迎した。 #Soltão Badur #Mostafa Baxa #Diogo de Mesquita #Lopo Fernandez Pinto #Duarte da Gama #Manoel Mendez #Simão Ferreira #Dom João Pereira #Antonio da Sylveira #Fernando Vaqueiro #Chitor #Mandou #Amadaba #Baçaim #Goa #Ormuz #Salcete #Chale #Cananor #Malaca #Maluco

第4の時代 第8書第12章 ウジャンタナ王に対する勝利とバンダ諸島の香料貿易

  【 4-8-12 】 ドン・エステヴァン・ダ・ガマがウジャンタナの王に敵対し、その都市を完全に破壊したこと。そして、王がバンダ諸島から得る利益と、その産物の質について。 【 Summary 】 ドン・エステヴァン・ダ・ガマは兄ドン・パウロの復讐として、ウジャンタナ王の町を攻撃し完全に破壊した。約五百人のポルトガル兵と二百人の現地兵を率い、五隻のナオと十二隻のフスタを用いた。敵ラグ・シメナは三千人で抵抗したが敗北、王は逃亡。町は略奪され焼き払われた。さらに、エステヴァンはバンダ諸島の香料とナッツの貿易を整え、王への年貢として多くの収入を確保した。バンダ諸島の樹木はナッツやマッサの収穫量が多く、香辛料としてインド洋交易で重要視されていた。貿易の管理は当初正確であったが、後に管理者の不正や横領で制度が乱れた。 #Dom Estevão da Gama #Dom Christovão da Gama #Vasco da Cunha #Antonio de Brito #Dom Francisco de Lima #Balthesar Leite #Juzarte Freire #Thome Raposo #Fernão Gomez Cabreira #Diogo da Cunha #Alvaro Carvalho #Lourenço d'Abreu #Gaspar Soares Pimentel #Antonio Ferraz #Manoel Pinto #Manoel Mendez #Francisco Mendez #Diogo Vaz #Lac Ximena #Malaca #Bintão #Sincapura #Canal de Varela #Rio Jor #Ponta de Romania #Banda #Maluco #Lontor #Neira #Puloay #Pulorum #Gunuape #Persas #Arabios #India #Ujantana

第4の時代 第8書第11章 マレーのウジャンタナ王との戦闘

  【 4-8-11 】 ドム・エステヴァン・ダ・ガマがマラッカに到着したときの出来事。そして、ウジャタナ王の船長ラック・シメナがマラッカを訪れ、ドム・パウロ・ダ・ガマが彼を迎えに出て、ドム・パウロが殺され、敗北した残酷な戦いについて。 【 Summary 】 ドン・エステヴァン・ダ・ガマはゴアからマラッカへ到着し、兄ドン・パウロ・ダ・ガマに要塞を引き渡された。まもなく、ウジャンタナ王ラグ・シメナが率いる敵艦隊と激戦となり、ドン・パウロは戦死。ジョアン・ロドリゲス・デ・ソウザ、アンドレ・カスコらも戦死または重傷を負った。戦闘は夜に終わり、生存者はマラッカに戻る。エステヴァンは負傷者を手厚く手当てし、戦死者を埋葬。ジョアン・ロドリゲスの遺骨は後にマルティン・アフォンソ・デ・ソウザ総督によってゴアに運ばれ、盛大に葬儀が行われた。この戦闘はマレー人の間でも語り継がれ、ドン・パウロの勇敢さは高く評価された。 #Dom Estevão da Gama #Malaca #Dom Paulo da Gama #Lac Ximena #Ujantana #Pero Mascarenhas #Pongor #Andre Casco #Simão Sodre #João Rodriguez de Sousa #Balthesar Leite #Juzarte Freire #Miguel Freire #Sancho Sanches #Bernardo Queimado #Jorge Fernandez Borges #Luis Alvarez #Martim Afonso de Sousa #Ruy Vaz Pereira #Goa #Sé Matris #Dom Garçia de Noronha  

第4の時代 第8書第9章 ルーム人について、カンバヤ交渉決裂とマラッカ航海

  【 4-8-9 】 ルメ人とトルコ人の違い、そして彼らがルメ人と呼ばれる理由。ヌノ・ダ・クーニャ総督の行動、そしてディオゴ・ダ・シルベイラが武装した船団を率いて海峡に向かった経緯について。 【 Summary 】 ルメスはトルコ人と異なり、トラキアやコンスタンティノープル周辺のローマニア地方出身のギリシャ系住民であり、黒い帽子で識別された。ルメスはトルコ人よりも文化・清潔・勇気に優れ、彼らを「トルコ」と呼ぶことは侮辱である。総督ヌーノ・ダ・クーニャはディオのソルターン・バドゥールが面会を拒否したため、交渉を断念して艦隊を率いチャウルへ移動。そこでディオゴ・ダ・シルヴェイラは、メッカ海峡での戦利品を得るために艦隊を整え、 2 月に 6 隻のガレー船と 20 隻の小型船で出航。また、総督はゴアに戻り、マラッカとマルク諸島の補給を整え、ドン・エステヴァン・ダ・ガマを派遣してマラッカ砦の管理を委任した。艦隊には兄弟や多数のポルトガル兵が同行した。 #Rumes #Turcos #Nuno da Cunha #Diogo da Sylveira #João de Santiago #Diogo de Mesquita #Chaul #Estreito de Meca #Roque Tello do Çamorim Grande #Antonio de Lemos da Trofa #Goa #Malaca #Maluco #Dom Estevão da Gama #Dom Paulo da Gama #Simão Sodre #Antonio de Brito #Andre Casco d'Evora #João Rodriguez de Sousa #Martim Afonso de Sousa #Dom Francisco de Lima #Dom Christovão da Gama #Vasco da Cunha #Santa Cruz #Banda #Sunda

第4の時代 第5書第9章 アチェ王の謀略とシナヤ・デ・ラヤの処刑

 第4の時代 第5書第9章 【 4-5-9 】アチェの王 が計略を用いてマヌエル・パシェコのガレオン船を襲った次第。マラッカのシナヤ・デ・ラヤ・シェリ がアチェ人と共謀した密約が発見され、彼が処刑された次第。 【 Summary 】 アチェ王はマラッカのガレー船を誤って拿捕し、マヌエル・パチェコらポルトガル人を捕える。ガルシア・デ・サは和平交渉を試みるが、アチェの策略により使者は殺害され、ガレー船も奪われる。少数のポルトガル兵が要塞に籠城する中、アチェ軍とシナヤ・デ・ラヤの間の秘密交渉や陰謀が明らかになる。最終的に、マラッカのポルトガル側は悪巧みに対処し、裏切り者を制裁して要塞を守ることに成功する。 #elreydoAchem #ManoelPacheco #SinayadeRaya #GarciadeSã #PeroDeFaria #AntonioCaldeira #TuãoMafamede #PeroMascarenhas #SimãodeSousa   #rey de Aru, #Malaca #Ujantana #Bintão      

第4の時代 第5書第8章 アチェ王の謀略とポルトガル人捕虜事件

 第4の時代 第5書第8 章 【 4-5-8 】ガルシア・デ・サ が到着するまで、マラッカにおいて生じたこと。アチェ王が自分たちの港に何隻かのナヴィオ船を捕まえて来ることが可能かどうか知るために、ペロ・デ・ファリアに対して用いた策略について。その他に生じたこと。 【 Summary 】 アチェ王はシマオン・デ・ソウザのガレー船の捕獲で増長し、マラッカ港でポルトガル船を捕らえようと画策。彼は囚人アントニオ・カルデイラを使い、ポルトガル側に友好と引き換えの捕虜返還を提案。ペロ・デ・ファリアは一時これを信じ和平を受け入れるが、マルティン・コレアはアチェの意図を疑う。最終的に両王の協議は進まず、フェルナン・デ・モライスがアチェの港へ赴くも拘束される。ポルトガル艦隊の攻勢も実を結ばず、アチェとアルー王の対立でポルトガル人は残酷な捕虜となる。 #Garcia de Sã, #Achem, #Pero de Faria, #Simão de Sousa, #Malaca, #elrey d'Arú, #Diogo de Maçedo, #Martim Correa, #Antonio Caldeira, #Pacem, #Fernão de Morais, #Paçem

第4の時代 第4書第5章 ドン・ジョアン・デ・サの勝利とオルムズ政変

 第4の時代 第4書第5章 【 4-4-5 】その総督がコチンに滞在していた間に対応した様々なこと。外洋へ派遣した艦隊について、ドン・ジョアン・デ・サ がカリカットの一艦隊に対して挙げた大勝利について。クリストヴァン・デ・メンドンサ がオルムズ要塞に入城した次第、そして宰相ラス・ハムデ〔ラーイス・ムハンマド〕 の死について。 【 Summary 】 コーチンに滞在した総督は複数の艦隊を次々と派遣し、カナノール・マラッカ・モルッカ・オルムズなど各地の情勢に対応した。マラバル方面にはドン・ジョアン・デ・エッサを送り、彼はマンガロールを焼討ちした後、カリカットの艦隊(司令官チナコティアレ)と交戦し、数で大劣勢ながら砲撃と白兵戦で大勝し、多数の敵船を拿捕した。チナコティアレも重傷で捕虜となり、後にポルトガル人捕虜十二名と金銭で身代金が成立する。一方、クリストヴァン・デ・メンドンサはオルムズに向かい、ライバルであるラシュ・ハメデは国王らの指示で暗殺された。このように総督は複数戦線を同時に処理しつつ、モルッカやスンダ遠征に備えて増援も派遣した。 #DomJoãoDEça, #DomSimãoDeMeneses, #FranciscoDeMello, #FranciscoDeSá, #MartimAfonsoDeMelloJuzarte, #GarçiaJuzarteDEvora, #Castanheda, #ReiDaCota, #Madune, #Çamorim, #ThomePirez, #DuarteMendezDeVasconcellos, #JoãoCoelho, #PeroDeFaria, #JorgeCabral, #SimãoDeSousaGalvão, #DuarteGalvão, #DomJorgeDeMeneses, #DomAntonioDeCrasto, #ChristovãoDeMendoça, #RaxXarrafo, #ManoelDeMaçedo, #RaxHamede, #Chinacotiale #Cochim, #Malavar, #Cananor, #Sunda, #Malaca, #Ceilão, #Choramandel, #Pegu, #Maluco, #Ormuz, #Mascate, #Goa, #Ma...

第4の時代 第3書第3章 パプア発見とスペイン艦隊のモルッカ到達

 第4の時代 第3書第3章 【4-3-3】モルッカへの遠征中にドン・ジョルジ・デ・メネゼス の身に生じたこと。パプア諸島を発見した次第。カスティリアを出発してモルッカ諸島に向かった艦隊について。〔モルッカ諸島〕到着に至るまでの航路について。 【Summary】 ドン・ジョルジェ・デ・メネセスはマラッカからマルクカへ航海し、モロ諸島付近で暴風に遭い漂流。現地で黒人住民(後にパプアと判明)と接触、交易を行う。スペインのフレイ・ガルシア・デ・ロアイサが指揮する七隻の艦隊が出航、ヨハン・セバスティアン・デ・エルカーノ、ドン・ロドリゴ・ダ・クーニャ、ディオゴ・デ・ベラらが参加。マゼラン海峡、サンタ・クルス川、サント・エレフォンソ川を経て航行中、艦隊は嵐で壊滅。総督は黒痢で死亡し、トリビオ・アロンソ・サラザールが新たに艦隊を指揮。チョモロ(Çamafo)、モロタイ、ティドール、テルナテ諸島で交易と軍事行動を実施し、ポルトガルとスペインの権益争いが激化。 #DomJorgeDeMeneses #PeroMascarenhas #MartimInhegues #DiogoDaGuerra #ManoelFalcão #FreyGarçiaDeLoaiza #JoãoSebastiãoDElcano #DomRodrigoDaCunha #DiogoDeVera #ToribioAlonsoSalazar #FernãoDeMagalhães #AntonioDeBrito #FranciscoSerrão #DomFernandoDeCastella #Ternate #Tidore #Çamafo #Morotai #Moro #Papuas #Vitoria #SantaCruz #SantoElefonso #Ladrões #Geilolo #Gacca

第4の時代 第2書第5章 ペロ・マスカレーニャスの帰還と上陸阻止騒動

 第4の時代 第2書第5章 【 4-2-5 】コチンに到着するまでにペ〔ド〕ロ・マスカレーニャスの身に生じたこと。アフォンソ・メシアが彼の上陸を阻止した次第。カンヌール に起きたこと。〔ペ〔ド〕ロ・マスカレーニャスが〕ゴアに向けてカトゥル (櫂船)で出発した次第。 【 Summary 】 ペロ・マスカレニャスはマラッカで艦隊を整え、 12 月にゴア向けに出航。途中カウロンで、ルポ・ヴァス・デ・サン・パイオの命令に逆らう形で、監察官アフォンソ・メクシアから上陸阻止の圧力を受ける。コチン到着時、メクシアは武装した現地民を率いて迎撃したが、ペロ・マスカレニャスは合法的な統治者として平和的に上陸。妨害者を拘束し艦隊の作業を安全に進めた。その後カナノールで友人ドン・シマオン・デ・メネゼスの協力を得て、最小限の船でゴアへ向かい、正当な権限を保持しつつ進軍を計画した。 #Pero Mascarenhas, #Afonso Mexia, #Lopo Vaz de São Payo, #Simão Caeiro, #Duarte Teixeira, #Manoel Lobato, #Jorge Mascarenhas, #Ayres da Cunha, #Dom Simão de Meneses, #Lançarote de Seixas, #India, #Malaca, #Goa, #Coulão, #Cochim, #Camarão, #Bintão, #Cannanor

第4の時代 第2書第1章 マラッカ王国の起源とビントーン島の整備

 第4の時代 第2書第1章 【4-2-1】マラッカ王国の起源と王たち、マホメット法を受けた時代、ビントーン島の基礎と地理の記述 【Summary】 マラッカ王国の成立は、シンガポール王国から派生した逸話的伝承に始まる。王家の子孫が婚姻と争いを経てマラッカに移住し、新たな都市を建設した。周辺諸国の王権やイスラム化の過程で、初のムスリム王シャー・マハメデが誕生し、以後マラッカ王国は繁栄した。王国は戦略的にビントーン島を整備し、堅固な城塞・防衛施設を築き、海上交易路を掌握して周辺諸港を支配した。王は息子たちに継承させつつ、外敵や競合勢力に備え、軍備の整備と防衛体制を整えた。 #Pero Mascarenhas, #Rey das Agoas, #Filhos, #Elrey de Japara, #Senhora de Sincapura, #Milãotania, #Rey de Pleamba, #Raial Sabu, #João de Barros, #Afonso d Albuquerque, #Damião de Gois, #ElRey Dom Manoel, #Xaque Darxa, #Rayal Sambu, #Veador da Fazenda, #Senhores da Jaoa, #Elrey de Sião, #Manoar, #Caçemo, #Cassis, #Mahamede, #Xá Mahamede, #Mansorxá, #Malafarxa, #Aleuidim, #Mahamede Xá, #Antonio Correa, #Elrey de Bintão, #Elrey de Pão, #Francisco de Sá #Malaca, #Bintão, #Mar Oceano, #Çamatra, #Pleamba, #Palibão, #Japara, #Jaoa, #Sincapura, #Sencuder, #Ujantana, #Sião, #Arabia, #Muar, #Pago, #Estreito de Sincapura, #Pulopuar, #Pão, #Sunda

第4の時代 第1書第6章 ペロ・マスカレーニャスへの継承通達とマラッカ滞留

 第4の時代 第1書第6章 【 4-1-6 】アフォンソ・メシアが総督ぺ〔ド〕ロ・マスカレーニャスをマラッカへ迎えに行かせた次第。そして彼が知らせを受け取った後におこなったこと。マルティン・アフォンソ・ジュザルテ とフランシスコ・デ・サの身にその旅で生じたこと。 【 Summary 】 新総督サンパイオの出発後、アフォンソ・メシアはマスカレーニャスに総督継承を知らせるため船を派遣した。一方、ジュザルテ率いる艦隊はモルディブ付近でルーム人の商船を襲撃し、財宝をゴアへ持ち帰った。先に到着していたジョルジ・カブラルはマスカレーニャスを迎えたが正式書類がなく、 1 か月後にアントニオ・ダ・シルヴェイラの船が到着して総督就任が宣言された。マスカレーニャスはジョルジ・カブラルをマラッカ長官に任じ、自らはインドへ向かおうとしたが逆風で戻ることとなり、その間モルッカ派遣の準備やビンタン島での遠征計画を進めた。 #Afonso Mexia, #Malaca, #Pero Mascarenhas, #Martim Afonso Jusarte, #Martim Afonso de Mello Jusarte, #Francisco de Sa, #Lopo Vaz, #São Payo de Cochim, #India, #Antonio da Sylva de Meneses, #Dom Jorge Tello, #Malavar, #Goa, #ilhas de Maldiva, #Rumez, #Tanaçari, #Meca, #Jorge Cabral, #Pulopuar, #Ayres da Cunha, #Afonso d'Albuquerque, #Nuno Vaz Pereira, #Jorge de Brito, #Antonio Pacheco, #Maluco, #Dom Anrique, #Borneo, #Jaoa, #Amboino, #Simão de Sousa Galvão, #Bintão, #Francisco de Sã, #Dom Jorge de Meneses,

第4の時代 第1書第1章 総督継承争いとロポ・ヴァス・デ・サンパイオの擁立

  第4の時代 第1書第1章 【 4-1 】 ロポ・ヴァス・デ・サンパイオの時代およびヌーノ・ダ・クーニャによる一部の統治時代に、ポルトガル人たちが東洋の海および陸の発見ならびに征服において実行したことがらについて   【 4-1-1 】 総督ドン・エンリケ・デ・メネゼスの死により、マラッカ司令官の任にあったペ〔ド〕ロ・マスカレーニャス がインディアの統治を継承した次第。財務長官アフォンソ・メシア が第三者の継承を図り、ロポ・ヴァス・デ・サンパイオ が継承に至った次第。 【 Summary 】 1526 年 1 月末、ドン・エンリケ・デ・メネゼスがカナノールで死去した。すでに第一の箱で彼が総督に指名されていたが、死後に第二の箱が開けられ、マラッカ長官ペロ・デ・マスカレーニャスが次の総督と定められていることが判明した。しかし彼は遠方にあり、帰還まで 14 か月かかると見込まれたため、緊急事態に対応できないと判断された。そこで第三の箱が開けられ、コチン長官ロポ・サンパイオが臨時総督に選ばれた。将来マスカレーニャスに地位を譲ることを誓約した上で、諸侯らはサンパイオに統治権を譲渡するためコチンへ向かった。 #Dom Anrique de Meneses, #Dom Simão de Meneses, #Afonso Mexia, #Vicente Pegado, #João do Souro, #Dom Vasco d’Eça, #Rui Vaz Pereira, #Dom Afonso de Meneses, #Manoel de Brito, #Antonio da Silva, #Lopo de Misquita, #Diogo de Misquita, #Diogo da Silveira, #Manoel de Maçedo, #Antonio de Miranda d’Azevedo, #Dom Vasco de Lima, #Martim Afonso de Mello Jusarte, #Dom Jorge de Meneses, #Dom Antonio da Silveira, #Dom Jorge de Castro, #Francisco d’Ataide, #Dom Vasco da Gama, #Pero Mascarenhas...