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第6の時代 第7書第9書 シャムの首都オディア包囲とペグー軍の敗退

シャムの都の様子について、またブラマー王がこれを攻撃しても何も成し遂げられなかったこと、さらにカマンベーの都へ向かったことについて。 シャム王国の首都オディアは大河メナオ沿いに栄える大都市で、周辺は村落・果樹園・寺院に満ち、増水期には広大な水郷となった。市街は水路と城壁、砲台で厳重に守られ、外国人居住区も分かれていた。ブラマー王はここを包囲し各所から砲撃したが、守備側には約 50 人のポルトガル人も加わり、要地を頑強に防衛したため攻略できなかった。王は賄賂で内応も図ったが拒まれ、ついに包囲を解いて、さらに下流の大都市カマンベーへ軍を進めた。そこでもディオゴ・ソアレス・デ・メロが攻城を担い、塹壕や砲撃、濠埋め、攻城塔など様々な攻撃が試みられたが、守備側は激しく抵抗し、悪臭を放つ汚物まで用いて攻撃を撃退した。結局、戦果の乏しいまま、ブラマー王は増水後に撤退した。 #Odia, #Sião, #Menaó, #Egipto, #Japão, #Capitolio, #Camade, #Campape, #Martabão

第6の時代 第7書第8章 ペグー王のシャム遠征とポルトガル人兵士

ペグーでディオゴ・ソアレス・デ・メロに起こった出来事、彼がその王に同行してシャム王に対する遠征に参加したこと、さらにその王の軍の状態・秩序と、シャムに到達するまでに起こったことについて。 ペグーの王(ブラマ王)は、シャム王が神聖視される白象を所有していることを知り、それを要求したが拒絶されたため遠征を決意した。 1544 年頃、大軍を率いてシャムを包囲し、最終的にシャム王は臣従し、王女と貢納を差し出すことで和平が成立した。しかし 1548 年、使者が殺されたためブラマ王は再び大遠征を準備した。一方シャム王も首都オディアを要塞化し、防備を固めた。ペグー王の軍は約 150 万の兵と 4000 頭の象を伴う巨大なもので、ディオゴ・ソアレス・デ・メロと約 80 人のポルトガル人も参加した。軍は各属国軍が分かれて進軍し、王の宿営には毎日豪華な仮宮殿が建てられた。行軍はマルタバン方面から進み、大河に橋を架けて渡河した後、山地を 25 日進んで峠に到達した。そこにはシャム軍約 25000 人が防壁を築いて守っていた。メロは砲兵を配置して攻撃し、激戦の末に防壁を突破させ、ペグー軍はシャム領内へ進軍してオディア城下に到達し、包囲戦の準備を整えた。 #Pegú, #Sião, #Odia, #Martabão, #Menaó, #Parles, #Baçaim