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第6の時代 第3書第10章 総督艦隊のディウ到着

総督ドン・ジョアン・デ・カストロがディウ要塞に到着したこと、上陸について取った評議、そして敵軍に戦いを挑むための軍の編成について。 総督ジョアン・デ・カストロの艦隊は「死者の島」を発ってディウ要塞の前に現れ、激しく破壊された要塞は艦隊の壮観を見て歓声を上げた。ロウレンソ・ピレス・デ・タヴォラが総督の船に赴いて再会し、総督はドン・ジョアン・マスカレーニャスら諸将と戦略会議を開いた。まず夜陰に紛れて兵を要塞内へ密かに入れ、攻撃の日には艦隊を突入させて敵を欺き、総督が出撃して敵の陣地を奪う計画が決定された。三日三夜かけて兵は縄梯子で要塞に入り、敵将ルメカンは防備を固めて約一万五千の兵を配置した。総督は再び評議を開き、戦うべきか議論が分かれたが、老将ガルシア・デ・サーが名誉と士気のため攻撃すべきだと説き、全軍は出撃を決意する。総督は部隊を複数の隊に分けて指揮官を任命し、翌日の決戦に備えさせた。兵士たちは告解とミサに与り、総督は十字架を掲げて演説し、信仰と王への忠誠を説いて士気を高めた。さらに城壁を最初に登った者への報奨を約束し、決戦の準備が整えられた。 #Ilha dos Mortos, #Dio, #Goa, #Cochim, #Cambaya, #Bengala, #Amadabá

第6の時代 第3書第9章 総督によるディウ支援艦隊の派遣

総督ドン・ジョアン・デ・カストロがディウ救援のため出航し、バサインからドン・マノエル・デ・リマをカンバヤ湾へ派遣して戦わせたこと、さらに 1546 年に王国から来たロウレンソ・ピレス・デ・タヴォラの艦隊がコーチンに到着し、彼が救援のためディウへ向かったこと。 ディウ要塞救援を決意した総督ジョアン・デ・カストロは、ゴアで大規模な遠征準備を進め、兵の訓練や艦隊の整備を急いだ。カナノールとコーチンからの援軍と補給が到着すると、総督は艦隊を率いて出航し、まずバサインでさらなる戦力の集結を待った。その間、ドン・マノエル・デ・リマに軽快な船団を与え、カンバヤ湾で敵の補給船を襲撃させた。リマはダマン沿岸からスーラト河口に至るまで補給船団を捕獲・破壊し、港町や集落を襲撃して多くの物資を焼き払い、住民を捕虜とするなど激しい破壊を行った。これにより周辺地域やアフマダーバードの宮廷にまで恐怖が広がり、敵軍の補給は深刻な打撃を受けた。一方、ポルトガル本国から来たロウレンソ・ピレス・デ・タヴォラはコーチン到着後すぐディウへ向かい、要塞へ入城して守備隊を鼓舞した。総督はその後艦隊を集結させ、 11 月初めにディウへ向けて進軍した。 #Dio, #Baçaim, #Goa, #Cananor, #Cochim, #Cambaya, #Damão, #Surrate, #Amadabá, #Dabul, #IlhaDeS.Lourenço, #IlhaDosMortos

第6の時代 第3書第8章 ポルトガルによる海上でのモール人の船の攻撃

ムーア人のメッカ船を待ち伏せするためドン・アルヴァロ・デ・カストロがルイス・デ・アルメイダを派遣したこと、彼が二隻を捕獲したこと、さらにバサインやチャウルから出た艦隊がカンバヤ湾で敵に与えた損害について。 ディウ要塞の苦境を知ったドン・マノエル・デ・リマは、自費で三百の兵を率いて救援に向かうと総督に申し出たが、総督は彼を側近として残し、やがて自らの遠征に同行させることにした。一方ヴァスコ・ダ・クーニャは沿岸を巡って散在していた船を集め、バサインを経てディウへ向かい、ルイス・デ・アルメイダの艦隊と合流して要塞へ入港した。カストロはスーラト沖でメッカ巡礼船を待ち伏せするよう命じ、アルメイダは三隻のカラベルで出撃し、激戦の末に大型船を含む二隻を捕獲した。多くの敵兵を殺害し、捕虜は処刑され、船の積荷から多額の金銀と商品が得られて戦費の大きな助けとなった。さらにバサインやチャウルから出たポルトガル船団もカンバヤ湾で補給船を襲撃し、多くの物資船を奪って敵軍に打撃を与えた。これらの損害によりルメカンは激しく動揺し、要塞への地雷攻撃や砲撃を続けたが、守備側は迅速に修復し防衛を維持した。 #Goa, #Dio, #Baçaim, #Chaul, #Cambaya, #Surrate, #Ormuz

第6の時代 第3章第7章 ルメカン軍の機運とポルトガル援軍の到着

ムーア人がサン・トメ堡塁の砲を奪い、さらにルメカンがポルトガル要塞の近くに新しい都市を築かせたこと、また同年四十六年に王国から出航した艦隊、ロウレンソ・ピレス・デ・タヴォラの艦隊、ドン・マノエル・デ・リマのゴア到着、ディウの情勢が総督に伝えられたこと、そして送られた援軍について。 前日の敗戦後、負傷したヌノ・ペレイラは故郷で死ぬ許可を得てゴアへ向かい、マスカレーニャスは総督へ戦況を報告した。勝利したルメカンは勢いづき、サン・トメ堡塁を掘り崩して砲を落とし奪取し、さらに川を渡るための大規模な舟橋を築き、軍営の近くにモスクを備えた新しい都市の建設まで始めた。一方、ムーア側はディウ要塞を占領したという噂を広め、それはゴアにも届いて総督を不安にさせた。その頃、ロウレンソ・ピレス・デ・タヴォラ率いる六隻の艦隊がインドに到着し、その一隻でドン・マノエル・デ・リマがゴアに来航する。さらにディウからの船が到着し、要塞が守られていることが知られると総督は大いに喜んだが、同時に息子アルヴァロ・デ・カストロの死や多くの貴族の戦死を知り深く悲しんだ。総督は祈祷と葬儀を行わせるとともに、艦船と兵士、物資を整えてディウ救援のため派遣した。 #Goa #Dio #Chaul #Cochim #Ormuz

第6の時代 第3章第6章 出撃を要求したポルトガル人兵士たちの失敗

ドン・ジョアン・マスカレーニャスが敵を疑って出撃し、最初の前哨を奪取して敵を野戦に誘い出したこと、そしてその戦いでドン・フランシスコ・デ・メネーゼスらが討たれたことについて。 反乱を起こした兵士たちは夜明けとともに武装して要塞の広場に集まり、傲慢な言葉で隊長に戦闘を要求した。隊長はドン・アルヴァロ・デ・カストロやドン・フランシスコ・デ・メネーゼスとともに彼らをなだめようとしたが失敗し、ついに出撃を決断する。ポルトガル側は隊を三つに分け、要塞外の前哨を攻撃して奪取し、敵軍に迫って城壁を越えて攻め込んだ。しかし戦闘は混乱した激戦となり、ドン・フランシスコ・デ・メネーゼスが銃弾に倒れ、さらにドン・アルヴァロ・デ・カストロも負傷する。敵の攻勢が強まるとポルトガル軍は城壁へ退却し、多くの騎士がそこで奮戦して戦死した。ドン・ジョアン・マスカレーニャスは兵をまとめて秩序ある撤退を行い、要塞へ戻る。戦いの結果、ポルトガル側は三十名が戦死し、多くの貴族や士官が負傷した。敵将モジャテカンは兵を率いて要塞へ迫ったが、サン・トメ堡塁からの砲撃と銃撃で撃退された。 #Chaul #Fortaleza de Chaul #Baluarte de São Thomé #Praia de Chaul

第6の時代 第3書第5章 ポルトガルの援軍とディウ要塞をめぐる攻防

その後さらに起こったいくつかの出来事、ドン・アルヴァロ・デ・カストロの航海で起こったこと、そしてポルトガル人たちが隊長に対して起こした大きな反乱について。 アントニオ・コレイアの死後、ムーア軍は勢いづき大胆な行動に出た。ある兵が単身で要塞の旗を奪おうとするが、二度目の試みで射殺され首を晒された。包囲戦では敵が堡塁に塹壕や防壁を築くが、守備側は大砲で破壊して押し返す。一方、ドン・アルヴァロ・デ・カストロは援軍艦隊を率いて出航するが、嵐で艦隊は散り散りとなり、一部は難破して捕虜となる。ルイ・フレイレの船だけがディウ要塞に到達し、続いてカストロ自身も四十隻以上の艦隊と約四百人を率いて入港し守備軍を大きく強化した。補給と兵力増加で要塞の状況は好転するが、敵は堡塁を崩し大砲を奪おうとして激戦となる。その後、地雷による破壊を恐れたポルトガル兵約四百人が激昂し、要塞に籠るのではなく野戦で戦うべきだと主張して隊長に反乱を起こす。指揮官たちは説得を試みるが、兵士たちは勇猛さゆえに聞き入れず、危険な状況となった。 #Dio, #Chaul, #Baçaim, #Agaçaim, #Cambaia, #Surrate, #Ormuz, #Goa

第6の時代 第3書第4章 ルメカンによるポルトガル人偵察隊の殺害

ムーア人が要塞に対して行った他の襲撃、そしてアントニオ・コレイアが間者を捕えるために敢行した非常に危険な行動について。彼はその際に捕らえられ、捕虜となり、さらに彼が受けた非常に過酷で苛烈な殉教について。 包囲軍の指揮官ルメカンは、インド方面からポルトガル軍の援軍が到着し始めたことで焦りを強め、要塞攻略を急ぐ。城壁を破るための地雷坑道を掘って爆破し突入を試みるが、守備側は内部に新たな壁を築いて防ぎ撃退した。続く激戦ではムーア軍が一部の堡塁を奪うが、アントニオ・モニス・バレットらが激しく抵抗し奪還する。一方、要塞側は敵情を探るためアントニオ・コレイアを偵察に派遣した。彼は夜間に敵の焚火を発見し、部下が恐れて退く中、単身で敵に突撃して奮戦する。しかし多勢に捕えられ、ルメカンの前に連行された。要塞の状況を問われても彼は虚報で敵を欺き、援軍が迫っていると答える。怒ったルメカンは彼を馬に縛りつけて市中を引き回し、最後には斬首させた。彼の首は槍に掲げられて要塞の前に晒され、守備兵たちは勇敢な戦友の死を深く悼んだ。 #Baçaim, #Goa

第6の時代 第3書第3章 ディウ救援艦隊の到着

バサインから出発した援軍について、ルイス・デ・メロ・デ・メンドンサおよび他の者たちがディウに到着するまでに起こった出来事、そしてムーア人が行った大攻撃によってすべての堡塁の一部を占領したことについて。 アントニオ・モニス・バレートらが出発したガレータ船の後を追い、 8 月 14 日にルイス・デ・メロ・デ・メンドンサが九人の仲間とともに出航した。さらにドン・ジョルジェとドン・ドゥアルテ・デ・メネゼス、ドン・アントニオ・デ・タイデらも別々の船で続いた。航海は激しい嵐に見舞われ、小さな船は海水に浸され沈みかけた。兵士たちは引き返すよう求めたが、メンドンサは王の要塞を救うため危険を恐れるべきではないと説き、剣を抜いて退却を禁じた。彼らは一昼夜水を汲み出しながら航行を続け、ついにディウ要塞を望見し、危険を冒して港に入り守備隊に迎えられた。続いてメネゼス兄弟も到着し守備隊は勇気づけられた。翌日、ポルトガル軍はサンティアゴ堡塁を奪回しようと攻撃したが、ルメカンが大軍を率いて反撃し、要塞全体で大規模な戦闘が発生した。激しい嵐の中で六時間に及ぶ戦いが続き、ポルトガル軍は奮戦して敵に多くの損害を与えた。夜になるとムーア軍は退却し、約四百人の死者を出した。その後さらに援軍の船が到着し、総司令ドン・アルヴァロ・デ・カストロも間もなく到着すると知らされ、守備隊は大きく士気を高めた。 #Baçaim #Diu #SantIago #SãoJoão #SãoThomé

第6の時代 第3書第2章 モール人によるディウ堡塁爆破作戦

ムーア人が要塞に対して行ったいくつかの襲撃、そこから逃亡して敵側に加わった奴隷たち、そして敵がサンティアゴ堡塁の半分を占領した経緯について。 ムーア軍は坑道を完成させ、 8 月 16 日にサンティアゴ堡塁を爆破しようとした。襲撃を装って突進した後に地雷へ点火したが、ポルトガル側の防御工事のため爆発は外側へ吹き出し、崩れた城壁が敵兵の上に落ちて三百人以上が死亡した。直後に二万近い兵で総攻撃が行われ、激しい戦闘となった。火薬・矢・石が飛び交う中、守備隊は少数ながら抵抗し、女性たちも弾薬運搬や負傷者救護に奔走した。イザベル・フェルナンデスは槍を手に兵を励まし続けた。アントニオ・モニス・バレートやガルシア・ロドリゲス・デ・タヴォラらも奮戦し、敵に大きな損害を与えて撃退する。しかし要塞は破壊が進み、兵力も減少していた。そこへ三人の奴隷が脱走して敵に情報を与え、守備兵がほとんど残っていないと告げた。これを聞いたルメカンは再び大攻撃を命じ、戦闘の末に敵軍はサンティアゴ堡塁の一部に侵入し旗を立てた。守備側は建物を利用して抵抗し、夜のうちに急造の壁を築いて敵と隔て、堡塁を半分ずつ占める形で戦闘が続いた。 #Diu, #SantIago

第6の時代 第3書第1章 ディウ救援艦隊の派遣とルメカンの作戦

ドン・アルヴァロ・デ・カストロがショールへ向かう航海で起こったこと、アントニオ・モニス・バレートとガルシア・ロドリゲス・デ・タヴォラがディウへ到着したこと、そしてルメカンが行ったことについて。 ゴアを出発したメネゼスとカストロの艦隊は、激しい嵐と荒波に苦しみながら北へ航海した。強風と豪雨で昼夜の区別も難しく、多くの船が避難のため湾や河口に入るほどであった。先行したメネゼスはバサインに到着したが、ディウへ渡ろうとした二度の試みは暴風のため失敗した。後から到着したカストロも船団を修理しつつ機会を待った。その間、弾薬を運ぶ船で来たアントニオ・モニス・バレートは、小さなガレー船で密かにディウへ向かう決断をする。そこへガルシア・ロドリゲス・デ・タヴォラやミゲル・ダルニーデらが加わり、わずかな食料だけを積んで危険な海峡を横断した。小船は荒波に翻弄されながらも二日ほどでディウに到達し、夜のうちに要塞へ入ることに成功した。彼らは援軍艦隊が近く出航するという知らせをもたらし、守備隊に大きな希望を与えた。一方ルメカンは堡塁爆破での損害を見て攻勢を強め、砲兵を再配置し、サンティアゴ堡塁や城壁の下に新たな坑道を掘ってさらなる破壊を試みた。 #Goa, #Chaul, #Diu, #Baçaim, #Madrefaval

第6の時代 第2書第10章 ディウに侵入したモール人とポルトガル人の戦い

ムーア人がサン・ジョアン堡塁に突入したこと、わずか五人がそれを防衛した驚くべき勇敢さ、そしてその他の出来事について。 爆破でサン・ジョアン堡塁が崩壊すると、ムーア軍は勝利を確信して大声を上げながら突入した。しかし瓦礫の中にはなお五人の守備兵が残っており、圧倒的な敵に対して勇敢に立ち向かった。彼らはアントニオ・パサーニャ、ベント・バルボーザ、バルトロメウ・コレイア、メストレ・ジョアン、そして名の確定しない一人である。敵は煙の中を進み要塞を奪えると考えたが、この五人はまるで数百人の軍勢のように戦い、敵を驚かせた。やがてマスカレニャス率いる守備隊が到着し、わずかな兵で堡塁を守り続けた。戦闘は激しく、トルコ人やムーア人の叫び声が響く中、女性たちも粉薬や石を運んで防衛に加わった。イザベル・フェルナンデスは槍を手に兵を鼓舞し、さらに司祭が十字架を掲げて戦士たちを奮い立たせた。ポルトガル兵は再び突撃し大きな損害を敵に与えた。戦闘は日没まで続き、敵は約三百人の死者と多数の負傷者を出して退却したが、防衛側でも勇敢に戦ったメストレ・ジョアンが戦死した。 #Diu, #SãoJoão, #Baçaim

第6の時代 第2書第9章 モール人によるディウ防壁の爆破作戦

ルメカンがサン・ジョアン堡塁に地雷(坑道爆破)を仕掛けさせたこと、ポルトガル側を油断させるために偽の間者を用いた策略、堡塁が爆破されたこと、そしてドン・フェルナンド・デ・カストロおよび他の貴族や騎士たちの死について。 ルメカンは援軍の到着を恐れ、包囲戦の行方に不安を抱きながらも撤退できず、サン・ジョアン堡塁の下に坑道を掘って爆破する計画を立てた。敵に気付かれぬよう壁の各所を攻撃しつつ、別の堡塁に攻城機を見せて注意を逸らした。さらにグジャラート人の商人を偽の間者として城内に送り込み、敵軍が撤退するとの偽情報を伝えさせてポルトガル側を油断させた。やがて坑道は完成し、聖ロレンソの日( 8 月 10 日)の正午、敵軍は総攻撃を装って堡塁に接近した。攻撃後に敵が退いたのを見て司令官は地雷を疑い撤退を命じたが、ディオゴ・デ・レイノーゾが名誉を守るため退くべきでないと主張し、多くの兵が残った。その直後、地雷が爆発して堡塁は大破し、多くの守備兵が吹き飛ばされた。約 60 人の重要人物が死亡し、その中には 19 歳の有望な若者ドン・フェルナンド・デ・カストロも含まれていた。ほかにも多くの貴族や騎士が命を落とし、要塞守備隊は大きな損害を受けた。 #Diu, #SãoJoão, #Guzerate  

第6の時代 第2書第8章 モール人によるディウ猛攻

他の砲撃が城塞に加えられたこと、ショールとバサインへの使者として派遣された司祭がいかにして城塞へ到着したか、ムーア人が行った大規模な総攻撃、城塞内に存在した甚大な飢餓と困窮、そしてマルティン・ボテーリョが成し遂げた非常に名誉ある勇敢な行為について 城塞への攻撃後、ルメカンは堀を埋める作業を進めさせたが、守備側の砲撃で作業路は崩され、多くの兵が埋没した。彼は強固な砲台を築いてサントメ堡塁を激しく砲撃し、その間に堀の埋立を進めた。作業はヤニザロが担い、多数の死者を出していた。翌日、ショールとバサインへ援軍要請に赴いていた司祭が九人の兵とともに嵐の海を越えてディウへ帰還し、援軍五百が数日で出発すると報告した。城内は歓喜に包まれたが、ルメカンはこれを聞き、援軍到着前の決戦を決意する。やがてジュザルカン率いる軍が総攻撃を開始し、旗を掲げて城壁へ突撃した。サントメ堡塁では激戦となり、ポルトガル側の守備兵と女性たちが火薬壺や石を運び、兵を鼓舞して防戦した。激戦の末、攻撃側は多数の死傷者を出して退却する。城内では食糧と弾薬が尽き、兵は犬や猫まで食べるほど窮乏していたが士気は衰えなかった。情報不足を憂えた司令官マスカレニャスは夜襲を命じ、ボテーリョが部下と橋で待ち伏せして敵を襲撃し、勇戦の末ノビを生け捕りにして敵軍の損害と士気低下の情報を得た。 #Diu, #Chaul, #Baçaim

第6の時代 第2書第7章 ディウの危機に対する援軍の派遣

総督ジョアン・デ・カストロはディーウ要塞の危機を知り、息子アルヴァロ・デ・カストロを援軍として派遣した。 6 月、船エスピリト・サント号が ゴア へ到着し、続いて要塞司令官ジョアン・マスカレニャスの書簡が届く。これを受け総督は急ぎ艦隊を整え、貴族や隊長たちが志願し、 7 月 27 日、アルヴァロは 19 隻の船団で ディウ 救援に出航した。さらに弾薬と食糧を積んだ補給船も準備され、友人の勧めでアントニオ・モニス・バレットが指揮を引き受けて出航する。 一方ディーウでは、敗北に恥じたルメカンが再攻撃を決意し、サンティアゴ堡塁に対抗する巨大な土塁を築くが、夜襲を受けて破壊される。続いて壁の建設も奇襲で壊されると、彼は総攻撃を命じた。夜明け、ムーア軍はマホメットの旗を掲げて突撃し、火薬壺や銃撃で堡塁を攻めるが、守備側は激しい白兵戦と砲撃で撃退する。戦闘は炎と煙に包まれるほど激烈であったが、敵は三百以上の死者と二千の負傷者を出して退却した。守備側は奇跡的に死者を出さず、多くの負傷者のみで持ちこたえた。戦後マスカレニャスは防備を修復し、火に強い革衣を作らせて守備を強化した。 #Goa #Dio #Baçaim #Chaul

第6の時代 第2書第6章 ムスリム軍のディウ侵入と撃退

岩場からムーア人が侵入したこと、ひとりの女がなした勇敢な行為、キャピタンが駆けつけて彼らを撃退したこと、そしてジュザルカンが死んだこと 海側で戦闘が続く中、ジュザルカンは岩場側を巡察し、サンティアゴ堡塁近くが無人なのを見て、百名ほどを家屋伝いに教会の低いバルコニーへ忍び上らせる。トルコ兵は一軒に侵入し、居合わせたトルコ出身の既婚女性を脅して金を要求するが、彼女は機転で外へ出て隣人に知らせる。別の勇敢な女性が槍を手に戸口を塞ぎ、敵を閉じ込める。報を受けたマスカレニャスは混乱を避けつつ兵を密かに集め、火薬壺を持って突入。爆発で三十余名を焼き払い、残敵をバルコニーから岩場へ突き落として殲滅する。さらに教会屋根から侵入した一団とも激戦となるが、増援とともに壁上で白兵戦を制し、敵を皆落下死させる。夜明け、砲撃で多数を倒す中、砲弾がジュザルカンを直撃し粉砕。ルメカンは悲嘆して退却する。守備側は七名戦死、三十名近く負傷。敵は千名が戦死、千五百名が負傷し、旗印も奪われた。マスカレニャスは戦後処置を整え、戦況をドン・ジョアン・デ・カストロへ報告、負傷のバスティアン・デ・サーをバサインへ送った。 #Santiago #Baçaim #Goa

第6の時代 第2書第5章 ルメカンの総攻撃に対するポルトガル軍のディウ防御

ルメカンが全軍を挙げて再び猛攻を加え、その中で起こった出来事について。   包囲が思うように進まず、ルメカンはマホメットの怒りを恐れて夜ごと大行列を行い、モスクで祈祷して士気を鼓舞する。これを察したマスカレニャスは総攻撃を予期し、防火用の水桶や槍、火薬壺を各堡塁に備える。聖サンティアゴ前夜明け、軍旗と太鼓の轟きの中、敵は三隊に分かれてサン・ジョアン、サン・トメ、アントニオ・パサーニャの持ち場を同時攻撃。梯子で殺到し一部は城上に取り付く。守備は投石・砲撃・白兵で応じ、ルイス・デ・ソウザ、ドン・フェルナンド・デ・カストロ、ドン・ジョアン・デ・アルメイダらが奮戦。女性たちも弾薬運搬と看護で支える。サン・トメが奪われたとの報が走るが、海側の兵が増援し奪回。海堡からの砲撃も加わり、敵は甚大な損害を出して退いた。 #Dio #Santiago

第6の時代 第2書第4章 ポルトガル軍によるトルコ兵の攻撃の撃退

ルメカンがシマン・フェイオを通じ降伏を勧告し、激烈な総攻撃の末にサン・トメ堡塁へ敵が侵入したこと。 夜、捕縛されたシマン・フェイオが城外から呼びかけ、城壁は崩れ壕は埋まり救援も遠いとして降伏を勧める。マスカレニャスはこれを退け、翌朝ルメカンとジュザルサンは全軍で総攻撃。太鼓と旗のもと数百のトルコ兵が梯子でサン・トメに殺到し、サン・ジョアンにも同時攻撃が加わる。守備側は二百足らずで応戦し、砲撃・投石・火薬壺で甚大な損害を与える。女性たちも弾薬や石を運び、負傷者を看護する。バスティアン・デ・サーらが奮戦するが死傷は増大。それでも敵は一度はサン・トメ上に足場を得る。守備兵は「サンティアゴ」を叫んで肉薄し、激闘の末に敵を堡塁外へ突き落とし、火薬で壊滅させる。五百近い損害を出した敵は退き、その後は正面攻撃を控え、執拗な砲撃と攪乱に転じた。 #Dio

第6の時代 第2書第3章 ディウへの総攻撃とゴアへの支援要請

味方がムーア人の土砂を奪い、コジェ・コファルが討たれ、ゴアへ救援を求め、敵が壕を埋め続けたことなど。 敵は壕を急速に埋め立て、マスカレニャスは旧い小門から夜ごと密かに土砂を奪う策を実行。若者や船員が籠で運び出し、内部を空洞化させて崩落させる。激戦の中アントニオ・フレイレが戦死するが、女たちも資材を運び橋を補強する。やがて砲弾が群衆中のコジェ・コファルの頭部を砕き、彼は即死。後継のルメカンは復讐を誓い地下道を掘って橋を破壊、六か所から埋め立てを再開する。守備側は火薬樽や鉄鎖で仮橋を焼き払うも、敵は再び橋を架けてサン・ジョアン堡塁を破り総攻撃を敢行。守備はこれを撃退する。一方、食糧難と兵の減耗が進み、司令官はヴィガリオを小舟でバサイン、チャウル経由ゴアへ送り、急使で救援を求めた。 #Goa #Baçaim #Chaul #Dio

第6の時代 第2書第2章 ディウの砲撃戦とモール人の撤退

ムーア人が砲撃を継続し、王が凶兆を恐れて退去したこと、さらにサン・トメ堡塁正面に築かれた「枝の丘」について。 砲撃は昼夜続き、守備側は修復と応戦に追われる。十日目、王が視察中に放たれた砲弾が側近を直撃し、血に染まる。これを凶兆と受け取った王はアマダバードへ退き、アベシン人司令官ジュザルサンを残す。コジェ・コファルは動揺を打ち消すため攻勢を強め、サン・ジョアン、サン・トメ、サン・チアゴの堡塁を破壊。マスカレニャスは内側に高いクベロを築き、女性たちもイザベル・マデイラらの指揮で資材運搬に尽力する。敵はサン・トメ前に土と枝の高塁を築き壕を埋めようとするが、守備側は高所から重砲でこれを粉砕。それでも敵は地下道と板橋で壕を埋め、総攻撃の機をうかがった。 #Dio #Amadabá #Cambaya

第6の時代 第2書第1章 ディウの砲撃戦

スルタン・マハムードがディウに到着し、兵士らが敵兵を捕らえたこと、そして激烈な砲撃戦について。 城壁と塹壕を完成させたコジェ・コファルは、総攻撃を前にスルタン・マハムードをシャンパネルから招く。王は騎兵を率いて到着し、威勢を示す祝賀が町に響く。守将マスカレニャスは夜襲で情報を得ようと命じ、六人の兵が敵陣を急襲、多数を斬り一人を捕縛する。捕虜から王来着を知った守備側は士気を高める。翌日、八門ずつの重砲が三つのバルアルテを猛撃し、巨大なカルタン砲が城内を震撼させる。だがアルメイダ、ソウザ、ジル・コウチーニョらが応戦し、夜ごと修復。やがて名手フランス人砲手が討たれ、敵砲は混乱し、包囲軍に損害が広がった。 #Dio #Champanel #Villa dos Rumes

第6の時代 第1書第9章 ディウの防衛状況とコウチーニョの夜襲

コジェ・コファルが城壁構築を開始し、ドン・フェルナンド到着に伴う出来事、さらにディオゴ・ダ・ニャヤ・コウチーニョの武勇について。   コファルは損害に焦り、要塞から弩の射程ほど離れた地に厚い壁を築き始める。昼は砲火で妨げられるため夜間に地下通路や迷路状の壕を掘り進め、重砲を据えて包囲網を強化した。そこへフェルナンドが嵐を越えて到着し、守備側は士気を高める。敵艦隊は一時優勢を示すも退去。補給連絡も図られる中、守将は敵情把握のため捕虜獲得を望む。夜、ディオゴ・ダ・ニャヤ・コウチーニョは単身城外に降り、二人の敵兵を急襲して一人を生捕る。さらに落とした兜を再び取り戻す胆力を示し、その武勇は称賛を浴びた。   #Dio #Goa #Baçaim #Surrate #Ormuz #Pór #Cinde #Babylonia #Eufrates #Santarem

第6の時代 第1書第8章 ディウをめぐる攻防戦

コジェ・コファルが将軍たちと協議し、要塞攻略の策を定めたこと、まず海側のバルアルテ奪取を決し巨大な攻城機を築いたこと、それを司令官が焼き払わせたこと、さらにドン・フェルナンド到着までの経過。 内通の機会を失ったコファルは、力攻めを決意し、まず海のバルアルテを奪って救援を遮断し、弱点から本城を砲撃する方針を定める。満潮時に接近できる巨大な船上機を造り、三層の木造城楼に火器と可燃物を満載、トルコ兵に夜襲を命じた。だがスパイの報で察知したマスカレニャスは、ジャコメ・レイテに密命を下す。夜陰に乗じて火薬壺を投げ込み、機を爆破炎上させ、敵に大損害を与えた。さらに補給船団を急襲して食糧を奪い焼却、海上封鎖を強化。コファルは激怒しつつも包囲を継続、双方は防備を固め、やがてドン・フェルナンド来援の報が近づく。 #Dio #Surrate #Balfar #Damão #Baçaim #Chaul

第6の時代 第1書第7章 ディウでの開戦

ルイ・フレイレがディウからゴアへ赴き、司令官の書状を総督ドン・ジョアン・デ・カストロに渡したこと、総督が子ドン・フェルナンドら貴族を九隻で救援に派遣したこと、コジェ・コファルのディウ到着、マスカレニャスが得た第三の密告、そして両者の応酬について。   ルイ・フレイレは書状を携えてゴアに到着し、総督カストロは急ぎ九隻を整え、子フェルナンドや諸貴族を救援として派遣する。一方ディウではコジェ・コファルが大軍を率いて来着。奴隷女の密告により、要塞引き渡しの内通計画が再確認される。司令官マスカレニャスは火薬庫や海側邸宅を点検し、防備を強化。コファルは城壁建設と通商特権を要求するが、和平条約に反すると拒絶される。ついにコファルは使者を拘束して開戦を宣言。要塞側も砲撃で応じ、マスカレニャスは将兵を鼓舞して籠城戦に備えた。   #Goa #Dio

第6の時代 第1書第6章 スーラトでの内通発覚事件

コジェ・コファルがスラテ滞在中、ルイ・フレイレと通じてディウ要塞を引き渡させようと図ったこと、また同島に密かに侵入した軍勢について。 コジェ・コファルは五月にディウ包囲を行うべくスラテで兵と物資を整え、内応策を巡らせた。要塞住民ルイ・フレイレを莫大な報酬で抱き込み、井戸への毒投入、火薬庫放火、海側の邸宅からの夜襲侵入を約す。さらにトルコ兵を密かに入城させ、市場を閉鎖して薪や食料の供給を止め、兵糧攻めの態勢を築いた。だがアベシン人の告発とトルコ人女性の証言で陰謀は露見。司令官マスカレニャスは疑念を抱きつつ慎重に調査し、証拠を固めたうえで両名を島外へ送って拘束させ、総攻撃に先立つ内通計画を未然に挫いた。 #Surrate #Dio #Goa #Chaol #Baçaim #Champanel

第6の時代 第1書第5章 モルッカのゲイロロ王との戦い

裏切りや不和の多発、フェルナン・デ・ソウザ・デ・タヴォラがカステーリャ人と行ったこと、そして彼らが皆ジロロ王に敵対してその要塞を包囲し、何も成し遂げずに退いたこと。 タヴォラがカステーリャ人と結んだ協定をめぐり、ティドレでビリャロボスに対する不満が噴出し、アロンソ・エンリケスが反旗を翻す。タヴォラは仲裁して両者を和解させ、スペイン人をテルナテの要塞に迎え入れる。その後、暴虐なジロロ王カタブルーノ討伐を決定。ポルトガル・スペイン連合軍は要塞を包囲し砲撃と総攻撃を行うが、落とし穴と激しい反撃で損害を出す。野戦でも激戦となり、ガルヴァンが戦死。攻略は成らず撤退し、まもなくビリャロボスも病没。遠征は実を結ばなかった。 #Tidore #Ternate #Geilolo #Malaca #Maluco #India  

第6の時代 第1書第4章 モルッカ王のゴア訪問とモルッカにおけるスペインとの争い

  「マラコ王がゴアに到着したこと、総督ドン・ジョアン・デ・カストロが彼をその王国へ送り返したこと、ベルナルジン・デ・ソウザがその要塞に赴任したこと、フェルナン・デ・ソウザ・デ・ターヴォラの航海中の出来事、そしてルイ・ロペス・デ・ビジャロボスがどのような条件で降伏したかについて。」 ドン・ジョルジェ・デ・カストロはマルコ(マルコ/マルク)王アエイロを伴いゴアに到着し、総督ドン・ジョアン・デ・カストロは彼を丁重に遇した。協議の末、アエイロはポルトガル王の宗主権のもとでマルコ王として再び叙任され、忠誠を誓った。総督はベルナルジン・デ・ソウザに王の送還と現地統治を命じ出航させる。一方、フェルナン・デ・ソウザ・デ・ターヴォラはテルナテに到着し、スペイン勢力を率いるルイ・ロペス・デ・ビジャロボスと対峙する。条約文書を示して撤退を迫り、インドへの移送や財産保全など寛大な条件を提示した結果、ビジャロボスはこれを受諾し、三日以内にテルナテ要塞へ入ること、ティドレ王との和解を条件に降伏が成立した。 #Malaca, #Maluco, #Goa, #Portugal, #India, #Ternate, #Tidore, #Castella, #nova Hespanha

第6の時代 第1書第3章 ソアレス・メロとペグー軍のアラカン遠征

  「ディオゴ・ソアレス・デ・メロがパタネへ向かう途中に起こった出来事、いかにしてペグーに至り、同国王とともにアラカン王に対して出陣したか、そしてパタネに到着するまでに彼に生じたことについて。」 シモン・デ・メロとディオゴ・ソアレス・デ・メロはマラッカへ向かう途中、セイロン島を過ぎニコバル湾に入ったところで暴風に遭う。堅牢なガレオン船のシモンは持ちこたえてマラッカに到着したが、ディオゴは流されてペグー沿岸に漂着した。そこでアルヴァロ・デ・ソウザと合流し、当時アラカン討伐を企てていたペグー王(ブラマ王)に請われて遠征に参加する。王は大軍と多数の船を動員したが、険しい山脈に阻まれ進軍は難航した。さらにベンガル湾で再び暴風に遭い艦隊は離散、ディオゴは辛うじてペグーへ戻る。王は遠征を断念して帰国し、贈物や船を与えて彼の出立を許した。ディオゴはその後マラッカを経てパタネに赴き、商人をマラッカへ誘導して関税収入の増加に寄与した。 #Malaca, #Ilha de Ceilão, #Nicubar, #Pegú, #Arracão, #Bengala, #India, #Goa, #Patane

第6の時代 第1書第2章 ポルトガル領インドと周辺勢力の関係

  「コージェ・コファルが総督を訪問させた偽装工作について、またカナノール王との間に結ばれた和平、およびメアルカンをめぐり総督とイダルシャーの間で交わされた使節について。」 コージェ・コファルは、ソルタン・マフムードと結んで翌年五月にディーウ要塞を包囲する計画を密かに進めつつ、欺瞞によって情勢を探った。ディーウの隊長ドン・ジョアン・マスカレニャスに使節を送り、城壁修復問題を口実に和平確認を装う。同時に総督ドン・ジョアン・デ・カストロにも贈物と使者を送り友好を装ったが、城壁再建要求は拒まれたため、包囲準備を急がせた。さらにイダルシャーはメアルカンの処遇やサルセテ、バルデスの帰属を巡って圧力をかけ、使節ジョアン・フェルナンデスを拘束するなど緊張が続いた。一方コージェ・セマサディンは王書と贈答を携え和平仲介に努め、カナノール王との関係は一定の修復を見た。総督はその後もバサインやシャウルなどに人事を行い、統治体制の整備を進めた。 #Dio, #India, #Turquia, #Méca, #Goa, #Malaca, #Maluco, #Salfete, #Bardes, #Portugal, #Cananor, #Reino, #Baçaim, #Chaul

第6の時代 第1書第1章 ジョアン・カストロのインド総督任命と航路の商人請負制導入

「いかにしてドン・ジョアン・デ・カストロがインド総督に選ばれたか、また 1545 年にインドへ向けて出発した艦隊について、いかにしてゴアに到着し統治権を掌握したか、さらに彼が講じた諸施策、およびマルティン・アフォンソ・デ・ソウザが王国まで行った航海について。」 ドン・ジョアン・デ・カストロは、王と王弟インファンテ・ドン・ルイスの推挙により 1545 年 1 月インド総督に任命され、 6 隻・約 2000 人の艦隊を率いて出航した。王はオルムズのグアジルを復権させて同行させ、またゴアに財務監督官 3 名を置き権限を分散した。艦隊はモザンビークを経て 9 月にゴアへ到着し、前総督マルティン・アフォンソ・デ・ソウザから政権を引き継いだ。カストロは財政・艦隊運営の改革やマラッカ・オルムズ方面の人事を進めた。一方ソウザは国王に提出する資金を携え帰国し、 1546 年 6 月リスボンに異例の速さで到着した。著者は、王営船時代は安定していた航路も、商人請負制以後は過積載により難破が増えたと批判する。 #Portugal, #India, #Evora, #Goa, #Ormuz, #Monte-mór o Novo, #Decan, #Cochim, #Baçaim, #Moçambique, #Melinde, #Malaca, #Patane, #China, #Meca, #Cananor, #Lisboa, #Alpalhão, #Caparica, #Valladolid

第4の時代 第10書第9章 ラショル放棄とディウ遠征準備

  【 4-10-9 】 ヌノ・ダ・クーニャ総督がディオから受け取った知らせ、そしてアセデカンとの和平、そしてサルセテとバルデスの土地を再び彼に返還したことについて。 【 Summary 】 ヌーノ・ダ・クーニャは、サルセテとバルデスの戦況に悩む中、北方のディオから援助要請を受ける。イドルカンの使者が和解を求め、戦争継続による損失を避けるため、ラショルの仮要塞を放棄し、占有権をイドルカンに譲ることを決定。使者はこの条件を承認し、捕虜も返還される。ポルトガル軍は物資と兵士を撤収し、ラショルの仮要塞を焼却。その後、総督はディオへの遠征準備を開始し、王国の船をコチンに派遣する。 #Nuno da Cunha, #Dyo, #Accedecan, #Badur, #Idalcan, #Rachol, #Goa, #Cochim, #Salsete,   

第4の時代 第10書第8章 アーディル・シャーに対する大敗北

  【 4-10-8 】 ドン・ゴンサロ・コウチーニョが、イダルカンの船長たちによってボリーで殺害され、打ち負かされたことについて。 【 Summary 】 ドン・ゴンサロ・コウチーニョはサルセテ戦役でイドルカンの部隊と激戦を繰り広げる。バリや橋、罠で敵の迎撃を受け、多数の兵士が溺死・戦死し、上陸作戦は大失敗。ドン・ゴンサロも重傷を負い救助されるが、間もなく死亡。戦闘で約四百人が失われ、多くの騎士や貴族が捕虜となる。生存者や死者の処理はガバナーが自ら指揮し、負傷者は手当てされゴアへ送られる。イドルカン側は捕虜を一部虐待するも、部下を叱責する場面もあった。 #Dom Gonçalo Coutinho, #Idalcão, #Bory, #Lionel de Lima, #Diogo d'Azambuja, #Rachol, #Alvaro de Caminha, #Accedecan, #Agassaim, #Nuno da Cunha, #Francisco Diaz, #Goa, 

第4の時代 第10書第7章 アーディル・シャーとの戦いとポルトガル船の到着

  【 4-10-7 】 サルセテの地に派遣されたイダルカンの指揮官たち、今年王国から派遣された艦隊、そしてゴアの指揮官ドン・ゴンサロ・コウチーニョが敵を追って出撃したことについて。 【 Summary 】 イドルカンの命でサルセテ地方が脅かされ、バドゥルカンがラチョル要塞を包囲したが、アルヴァロ・デ・カミーニャらの防衛で失敗。ドン・ゴンサロ・コウチーニョは船と人員を率いて河川と陸上で援軍を送り、危険を冒して障害物を切り開き、補給路を確保。冬を通じて攻防が続くが、要塞は守られる。夏にゴアに五隻のナオが到着。年は干ばつ後の恵みの雨と、ポルトガルで教皇により王の命で宗教裁判所が設立されたこと、ドン・ドゥアルテの結婚などが記録される。 #Idalcão, #Sosleimão Agá, #Accedecan, #Ponda, #Salsete, #Badurcan, #Rachol, #Alvaro de Caminha, #Bory, #Lotilin, #Dom Gonçalo Coutinho, #Diogo d'Azambuja, #Lionel de Lima, #Dom Pedro de Castello Branco, #Agassaim, #Fernão Nunez, #Jorge Fernandez, #Jorge Cabral, #Vicente Gil, #Gaspar d'Azevedo, #Ambrosio do Rego, #Duarte Barreto, #São Bras, #Dom João, #Dom Anrique de Meneses, #Dom João de Meneses, #Dom Duarte, #Dona Isabel, #Bargança, #Goa

第4の時代 第10書第6章 ポルトガルとウジャンタナの和平とモルッカでの戦闘

  【 4-10-6 】 ドム・エステヴァン・ダ・ガマがウジャタナの王と結んだ和平について。そして、この夏、マルクで起こった出来事、そして、あるキリスト教徒の紳士たちに起こった珍しい出来事について。 【 Summary 】 ドン・エステヴァン・ダ・ガマはウジャンタナ王と和平を結び、全ての条件を満たさせることで港や交易を安全化した。一方、マルク諸島ではカタブルノがキリスト教徒を迫害し、ドン・ジョアンが家族を守るために悲劇的行動を取るも信仰を守る。トリスタン・デ・タイデやポルトガル人は要塞で抵抗し、補給のガレー船により支援を受け、敵の集落を焼き討ち。ティドールの艦隊とも戦闘を行う。アルヴァラドはパプア諸島や新島(グエレスブ)を発見し、地理的知識を拡充した。 #Dom Estevão da Gama, #Curutaule da Raya, #Lac Ximena, #Taucão da Raya, #Turcão Marcar, #Ujantana, #Bintão, #Muar, #Catabruno, #Geilolo, #Momoya, #Dom João, #Tristão de Taide, #Malaca, #Tidore, #Antonio Galvão, #Alvarado, #Fernão Cortez, #Dom Jorge de Meneses, #Guellesb, #Ternate, #Trutupalete, #Calamata, #Isicoa

第4の時代 第10書第5章 アジアにおけるポルトガルとムスリムの衝突

  【 4-10-5 】 我らがムーア人と遭遇したこと。そしてドン・ジョアン・ペレイラが彼らと戦い、打ち破ったこと。そしてヌノ・ダ・クーニャ総督がディオとゴアで備えたこと。 【 Summary 】 ポルトガル人はムーロスとの衝突で戦功を挙げ、ドン・ジョアン・ペレイラが指揮して敵を撃退。クリストヴァン・デ・フィゲイレドとミゲル・フロエスが前衛で活躍し、戦闘で多数のムーロスを討ち、犠牲を出しつつも優勢を保つ。戦後、マルドル要塞を整備し、マンオエル・デ・ソウサを指揮官に任命。防備と兵站を強化した。要塞をライショールに移転し、アルヴァロ・デ・カミーニャとルイ・ディアス・ペレイラを配置。マルク要塞にはアントニオ・ガルヴァオンが赴き、私財を投じて兵站を確保、都市の整備と入植者の誘致を行い、次の冬期作戦に備えた。 #Dom João Pereira, #Christovão de Figueiredo, #Miguel Froes, #Mandor, #Verná, #Santiago, #Jurdão de Freitas, #Galvão Viegas, #Galas Viegas, #Vicente Colaço, #Jorge Garces, #Pero Preto, #Dom Diogo d'Almeida Freire, #Sebastião da Fonseca, #Gregorio Martins, #Francisco de Mendoça, #Manoel de Vasconçellos, #Afonso Pirez do Vale, #Içuf, #Soleimão Agá, #Candor, #Cocolym, #Mardor, #Dyo, #Goa, #Malaca, #Maluco, #Raichol, #Alvaro de Caminha, #Ruy Dias Pereira, #Antonio Galvão, #Ternate

第4の時代 第10書第4章 ムスリム勢力のデカン支配とポルトガルのサルセテ・バルデス獲得

  【 4-10-4 】 ムーア人がデカンを征服すること、そして、今年亡くなったイスマエルに服従したすべての王たちについて述べる。また、ゴア島の歴史と名称、そして、アセデカンがサルセテとバルデスの陸地をヌノ・ダ・クーニャ総督に与えたことについて述べる。 【 Summary 】 ムーロスはデカン地方を征服し、ヴィサポールを拠点に支配を確立。デリー王の子孫トゴラサが初代デカン王となり、イスラム法を広める。以後、代々の王が統治し、ソルタン・ピロスやソルタン・ダウダルらが都市建設や行政整備を行う。支配下の領土は海岸沿いを含む各地域に分割され、複数の州知事が任命される。トルコ人チュフォは重要な軍事・政治役職を担い、ゴア島を攻略。イスマエル王の時、内部争いにより土地がナウノ・ダ・クーニャ総督に与えられ、サルセテとバルデスの支配権が確立。争いの末、弟アブラヘモが王位を継ぎ、治世を安定させる。 #Decan, #Visapor, #Canara, #Thogalaça, #Abetxa, #Singabupa, #Peru Soltão, #Cabum Bargui, #Mahamede Alaudym, #Mugerdar, #Soltão Daul, #Soltão Mahamed, #Xadom Dilagar Soltão, #Soltão Piros, #Piros Zobat, #Xarbedar, #Soltão Mahamede, #Homahu Soltão, #Soltão Hamed, #Homem Soltão, #Valebur Soltão, #Daudar Soltão, #Adelcan, #Nizaman Moluc, #Coth Moluc, #Idmad Maluco, #Paliconda, #Berara, #Hadaverar, #Angediva, #Cifardão, #Nagotana, #Çufo, #Savay, #Goa, #Onor, #Ismael, #Meale, #Malucan, #Abrahemo, #Accedecan, #Christovão de Figueiredo, #Mardor, #Cocoli, #Asolona, #Margão, #Soleimão Agá

第4の時代 第10書第3章 ハマウ・パシャのカンバヤ撤退とシルカナ王の台頭

  【 4-10-3 】 ハマウ・パシャが退陣し、カンバヤ王国を去った理由について。また、ベンガル地方でシルカナという名のパタンが台頭し、彼が征服した諸国、そしてハマウを滅ぼし、その王国を奪った経緯について。 【 Summary 】 ハマウ・パクサはカンバヤの諸国を征服するも、ベンガラのパタネ王シルカナによりデリーで敗北し、領土と財宝を失い撤退。彼はシンドやタタの地に逃れ、マゴル系のミルザカン・オセン王に保護され、財宝と支援を受けてペルシアへ赴く。一方、シルカナはデリーでハマウの財宝と正室を掌握し、領土を拡大。征服と統治を通じて、最終的にシルカナは「シャ・ホラオ」の称号を得、約 1500 リーグの広大な領域を支配するに至る。 #Hamau Paxa, #Cambaya, #Agará, #Mandou, #Bengala, #Circana, #Dely, #Cinde, #Mirzãcan Ocen, #Xabil Can, #Xircan, #Aycan Mirza, #Patane, #Magor, #Cinde, #Thatha, #Xathama, #Persia, #grande Alexandre, #Xa Horão, #Dario, #Cabur

第4の時代 第10書第2章 モンゴル帝国からムガル朝に至る征服の歴史

【 4-10-2 】 これらのキリスト教の王たちが、トルクスタンを征服し、小アジアに逃亡した者たちを征服し、その地を大トルコと名付け、大タムルランからこのハマウ・パシャに至るまでのマゴル人の王たちについて論じる。 【 Summary 】 チリストカンのレイガ、トゥルクスタンを征服し、逃れた民をアジア・メノールに移住させグラン・トルキアを建設。マゴレスがタルタロスを支配・圧迫する中、タモチン(チンギスカン)がタルタロスとカタハタイ家を征服。チンギスカンは各州を子に分与し、タムル(タムルル)もインド、ペルシア、アルメニアを征服。タムルの子孫バロボ(ハオマルサク)がインドで勢力を拡大し、マゴレス王国を樹立。バブール、ハマウ・パクサが王位を継ぎ、カンバヤを支配。マゴレスは武勇、騎射に優れ、征服と統治を続ける。 #Turcstan, #Asia Menor, #Grão Turquia, #Magores, #Tartaros, #Othom arçebispo de Florença, #Guilhelmo arçebispo de Tyro, #Persia, #Suria, #Turchimanes, #Terra Santa, #Constantinopla, #Dionysio rey do Egypto, #Hispalis, #Santo Isidoro, #Dom Rodrigo Ximenes, #Dom Afonso o Sabio, #Tamochim, #Macuça, #Georzà, #Bargui, #Cathayo, #Cambalec, #Chinguiscan, #Huncan, #Tenduc, #Marco Polo, #Magucan, #Aiton Armenio, #Mustacem Mubila, #Çamorcant, #Tamur, #Quex, #Danguis Xor, #Xorguilan, #Gilan, #Mirza Miruxa, #Xarol, #Haomarxac, #Balobo, #Industan, #Deli, #Bel, #Nibab, #Cabul, #Çamorcant, #Abusseir, #Babur, #Hamau Paxa, #Cambaya, #Arabios, #Persas

第4の時代 第10書第1章 ムガルとタタールの起源とキリスト教の伝播について

  【 4-10-1 】 マゴール族とタルタール族の起源と始まり、彼らが支配する地方、キリストの教えを受け入れた時期、そして彼らが「インドの司祭」と呼ぶ神格をどのように確立したかについて。また、エチオピア皇帝がどのようにその地位を継承したかについて。 【 Summary 】 マゴレスとタルタロスの起源はノアの子ヤフェトの子孫トゥルクにさかのぼる。長男タルタルは北方の土地に定住してタルタリアを形成、次男モンガルは南方に移りモンガリアを建てた。モンガルの子孫は強大化し、多くの州や都市を支配。キリスト教は初期に聖トマス使徒によって伝えられ、インドや中国に広がった。これらのキリスト教徒は後に「インディアのプレステ・ジョアン」と呼ばれる王権を形成した。誤解により一部の歴史家はマゴレスをタルタロスと混同したが、実際にはモンガルとタルタルは別の系統である。 #Magores, #Tartaros, #Preste João, #Ethyopia, #Noe, #Iaphet, #Turc, #Magog, #Tartar, #Mongal, #Sanchion, #Saccuir, #Campion, #Georza, #Bargu, #Carcorim, #Tangut, #Frei Odorico de Friuoli, #Frey Anselmo, #Papa Innocencio Quarto, #Grão Cão, #Cathayo, #Marco Polo Veneto, #Tendur, #Gog, #Ung, #Hispan, #Hispalis, #Luso, #Siccelio, #Ogus, #Gun, #Gunchan, #Hiel Dux Chan, #Mungel Chan, #Tanguis Chan, #Hil Chan, #Feridum, #Turc (província), #Estan, #Sogdiana, #Bactriana, #Aracosia, #Mongalia, #Tartaria, #Maverena, #Tendul, #Çomarcant, #Balc, #Husbeques, #São Thome, #Santo Isidro, #India Superior, #India Mayor, #Maliapor,...

第4の時代 第9書第10章 ポルトガル・グジャラート連合軍による対ムガル朝防戦

  【 4-9-10 】 マガレスの王ハマウ・パシャが、パタンの王が彼の王国に侵入したため、その王国から撤退したこと、そしてバドゥール・スルタンが彼を追跡し、マルティン・アフォンソ・デ・ソウザが同行したこと、そして旅の途中で彼に起こった出来事について。 【 Summary 】 ハマウ・パクサがマゴレス領を退却する中、ソルタォン・バドゥルは追撃の準備を整え、騎馬 1 万を集めてマルティン・アフォンソ・デ・ソウザ率いる千人のポルトガル兵の支援を受けた。行軍中、民衆の逃散や敵の動向で不安が生じたが、マルティン・アフォンソの冷静な助言により高台に布陣して防御。敵のアスカリ・ミルザが接近したが、威圧により戦わず退却。バドゥルは無事ディオに戻り、ポルトガル兵の勇気と支援に感謝、多くの恩賞を与えた。 #Hamau Paxa #Soltão Badur #Martim Afonso de Sousa #Nuno da Cunha #Manoel de Sousa #Ferrão de Sousa de Tavora #Francisco de Sá dos Ocolos #Dom Diogo d'Almeida Freire #Martim Correa da Sylva #Manoel de Sousa de Sepulveda #Antonio Moniz Barreto #Freire (capitania de Cananor) #Ascari Mirza #João de Santiago #Dyo #Amadaba #Baroche #Guzarate

第4の時代 第9書第9章 対ムガル朝に向けたポルトガルのバハードゥル支援

  【 4-9-9 】 ヌノ・ダ・クーニャ総督がバドゥール・スルタンと会い、再び   (平和)を確認し、要塞の建設が始まったこと、そして総督がバドゥール・スルタンにマゴレス族に対する支援を行ったことについて。 【 Summary 】 ヌーノ・ダ・クーニャ総督はディオ島でソルタォン・バドゥルと面会し、和平を再確認、要塞建設の場所を選定して工事を開始した。総督はカナリム出身の人夫を動員し、地元民と共に作業を進め、祭祀と祝賀の下、聖トメの日に最初の石を据えた。バローチェではマヌエル・デ・マセドがポルトガル兵と共に都市防衛にあたり、地元民を励まし、マゴレスの侵入を抑制したが、恐怖のため住民は逃げ、街は一時的に無防備となった。総督は現状を把握し、援軍を送りつつディオ島に戻った。 #Nuno da Cunha #Soltão Badur #Garcia de Sa #Pero de Faria #Fernão Rodriguez de Castel Branco #João da Costa Travaços #Xacoes #Medinarrão #Alucan #Coge Çofar #Zengircan #Marcos Fernandez #Coje Percoli #Marfim Afonso de Sousa #Manoel de Macedo #Hamau Paxa #Ascari Mirza #Baroche #Berodora #Amadaba #Dyo #Canarim Vara #Guzarate

第4の時代 第9書第8章 バハードゥルとの和平条約とグジャラートにおける勢力拡大

  【 4-9-8 】 35 年に王国を出発した艦隊、カンバヤの大使がゴアに到着したこと、ヌノ・ダ・クーニャ総督が彼とともにシモン・フェレイラを派遣し、バドゥールとの和平条約およびその条項を締結させたことについて。 【 Summary 】 ソルタォン・バドゥルの使者はチャウルからゴアへ急行し、ヌーノ・ダ・クーニャ総督にディオ島での要塞提供と和平協定の意志を伝えた。総督は使者とシマオン・フェレイラを通じて詳細を協議し、バドゥルとの契約条件を確認。契約では、ディオ島における要塞建設権の付与、バサイムの管理権の承認、メッカからの船舶やペルシャ・アラビアの馬の自由通行、ポルトガル・グジャラートの友好関係維持などが定められた。バドゥルは契約を承認し、使者を送り返した。総督はディオ島に向かい、バドゥルと面会して友好的関係を確認し、島の守備と和平の整備を進めた。 #Soltão Badur #Cambaya #Goa #Nuno da Cunha #Simão Ferreira #Martim Afonso de Sousa #Dyo #Xacoes #Medinarrão #Baçaim #Fernão Perez d'Andrade #Martim de Freitas #Thome de Sousa #Jorge Mascarenhas #Luis Alvarez #Fernão Camelo #Fernão de Moraes #Muça Azei #Tunes #Barbaroxa #Dom Luis #Antonio de Saldanha #Dom João Pereira

第4の時代 第9書第7章 スルタン・バハードゥルのメッカ渡航断念とポルトガルとの協力

  【 4-9-7 】 スルタン・バドゥールがメッカへ旅立とうとしたが、部下に反対されたこと。そして、マゴレス族に対する支援をヌノ・ダ・クーニャ総督に要請し、ディオの要塞   を約束したこと。そして、マルティン・アフォンソ・デ・ソウザが彼のもとへ赴いたこと。 【 Summary 】 ソルタォン・バドゥルは自らの弱さと恐怖のため、グジャラートの帝国を失い、メッカへの退去を考えたが、大臣たちの説得で思い留まる。彼はポルトガル人の支援を得ることに望みを託し、ディオ島において要塞の提供を申し出る。使者ザコエスを通じてマルティン・アフォンソ・デ・ソウサと接触し、ポルトガル艦隊の到着を待つ。マルティン・アフォンソはディオに到着し、島を防衛しつつ、ソルタォン・バドゥルの命令で要塞や補給を整えた。ディオ島に逃れてきた住民も保護され、マゴール族の侵攻から守られた。この際、弱い指導者と有能な将軍の重要性が鮮明に示される。 #Soltão Badur, #Meca, #Nuno da Cunha, #Martim Afonso de Sousa, #Dyo, #Çafarcan, #Xacoes, #Chaul, #Magores, #Mafamede, #Guzarate, #Magor, 

第4の時代 第9書第5章 ムガル朝のフマーユーンがバハードゥル・シャーを破りグジャラートを征服する

  【 4-9-5 】 マガールの王ハマウ・パシャがスルタン・バドゥルを捕らえ、チトールとマンドの王国を奪い、スルタン・バドゥルを捕らえ、その大いなる卑劣な行為、そしてマガールが彼を滅ぼし、打ち砕いたことについて。 【 Summary 】 ハマウ・パクサ王はソルターン・バドゥルがチトールとマンドゥの領土を侵略したことに激怒し、三万五千の騎馬兵を率いて進軍、帰順する都市を次々と制圧し、総勢六万騎に達した。バドゥルは強大な軍勢を擁したが恐怖により戦わず、補給が途絶えると象や馬、根菜で生き延びる状態となった。最終的に夜間に撤退し、財宝を運びディオへ逃れた。ハマウ・パクサは追撃しつつ、カンバヤの都市を略奪、グジャラート全域を支配下に置き、ソルターン・バドゥルの領土は失われた。 #Hamau Paxa #Soltão Badur #Omir Mahamede Zaman #Rumecan #Chitor #Mandou #Arrayol #Guzarate #Champanel #Beredora #Barodar #Verdora #Dyo #Uná #Cambaya

第4の時代 第9書第6章 グジャラート地域の地理とその誤解に対する修正

  【 4-9-6 】 古のグジャラート王国の境界について。そして、地理学者たちがインダス川をカンバヤ湾に注ぐと誤って記した理由について。 【 Summary 】 グジャラート王国の古代の領域は北はジャケート岬、南はバンドラ川まで広がり、陸地の範囲は 150 リーグ以上、沿岸は 200 リーグ超であった。近代地理学者やアブラハム・オルテリウスらはインド川をカンバヤ湾に注ぐと誤記したが、実際にはシンド地方を経て海に流れる。誤解はアレクサンドロス大王の遠征記録であるネアルコスの航海記から生じ、河川や地名の分岐を誤認したことに起因する。古代の地理情報は翻訳や伝聞の過程で変化し、ギリシャ・ラテン系文献では地名が大きく混同されていたことも示される。正確な古代の河川・都市・沿岸線の位置を理解することが重要である。 #Guzarate #Cambaya #Indo #Jaquete #Maleo Promontorio #Barace #Dyo #Nicolao Veneto #Bandora #Nanaguna #Nitra #Poro #Quinto Curcio #Carmania #Nearcho #Alexandre Magno #Ariano #Gedrosia #Oritios #Persia #Susia #Eufrates #Sinus Cantincolpus #Linabare #Sagapa #Sando #Cinde #Barigazeno #Gaoris #Rende #Baroche #Surrate #Narbenda #Tapeti #Sinus Colchicus #Colchi #Porju #Cochim #Cate #Malavar #Sino Agarico #Cabo Comori #Gange #Beadala #Negapatão #Sino Gangetico #Dyul Cinda #Marco Polo Veneto #micer de Conti  

第4の時代 第9書第4章 モルッカの王たちによる反乱

  【 4-9-4 】 マルク諸島の領主たちが我々に対して企てた陰謀と、彼らが我々を追い込んだ厳しい状況について。 【 Summary 】 マルク諸島の諸王はポルトガル人に対する反乱を計画し、エイロ王妃への迫害やタバリジャの捕縛を理由に連合を結成。トリスタオン・デ・タイデの船長フアン・ピントはミンダナオやセリアゴ島で交易と和平を成立させたが、地元民の一部が船を襲撃し物資と砲を投棄。テルナテ王と連合軍はポルトガル人排除のための総攻撃を計画し、島々で虐殺と略奪を行った。モモヤやチオン島ではポルトガル人や司祭が殺害される。トリスタオン・デ・タイデは警戒と監視を強化し、エイロ王やティドール王への和平使節を派遣したが、地元勢力は新王カタブルーノを擁立して反ポルトガル連合に加わり、状況は極めて困難となった。 #Tristão de Taide #Foão Pinto #Simão Vaz #Francisco Alvarez #Catabruno #Rey Aeiro #Maluco #Mindanao #Seriago #Ternate #Tidore #Momoya #Chião #Geilolo #Tabarija

第4の時代 第9書第3章 グジャラートのスルタン・バハードゥルのチトール侵攻とポルトガルとの親交

  【 4-9-3 】 スルタン・バドゥルがチトール王国に攻め込み、その都市を占領したこと。そして、シモン・フェレイラがバドゥルと面会したこと。そして、ヌノ・ダ・クーニャ総督がゴアに向けて出発する準備をしたこと。 【 Summary 】 スルタン・バドゥルはチトール王国へ遠征し、約 50 万の兵力を率いてチトール城を包囲、要塞化された険しい山を爆薬で突破。ポルトガル人捕虜ディオゴ・デ・メスキータらが前衛として戦い、王妃と息子を捕虜にした。バドルはチトール城と周辺都市を占領し守備を配置した。使節シマオン・フェレイラはアマダバでバドルに会い、総督の書簡と贈り物を渡して和平を確認。捕虜は返還され、金品が与えられた。その後、総督はバサイム要塞の防備を整え、物資を補充。 3 月にアントニオ・ダ・シルヴェイラをバサイムの新任指揮官に任命し、オルムズの管理も整備した。ゴアでマラッカ・マルク諸島の支配や遠征準備を進め、シマオン・フェレイラらを歓迎した。 #Soltão Badur #Mostafa Baxa #Diogo de Mesquita #Lopo Fernandez Pinto #Duarte da Gama #Manoel Mendez #Simão Ferreira #Dom João Pereira #Antonio da Sylveira #Fernando Vaqueiro #Chitor #Mandou #Amadaba #Baçaim #Goa #Ormuz #Salcete #Chale #Cananor #Malaca #Maluco

第4の時代 第9書第2章 スルタン・バドゥルがポルトガルにバッセインを献上

  【 4-9-2 】 バドゥル・スルタンがヌノ・ダ・クーニャ総督にバサイム市を献上した経緯。そして和平を締結するための条項と条件について。 【 Summary 】 総督はソルターン・バドゥルの使節を休息後に聴き、外交儀礼を整えて面会。バドルはバサイムの都市と周辺の権益をポルトガル王に献上し、通商・航海の自由、税権や港の制限、捕虜の引渡しなど七項目の条件を提示。総督はポルトガル王の名で承認し、双方で誓約。使節はゴアへ同行し、捕虜返還や平和確認を行った。その後、総督はバサイムの都市を正式に受領し、住民に忠誠を確認させ、港近くに新たな要塞を築き始めた。工事の指揮も総督自ら行い、住民には報酬を与えて協力させた。翌年 1 月 20 日、要塞の礎石を聖セバスティアンの名で設置し、工事を急速に進めた。 #Governador #Simão Ferreira #Marcos Fernandez #Coge Peredi #Soltão Badur #Dom João de Portugal #Diogo de Mesquita #Lopo Fernandez Pinto #Manoel Mendez #João de Lima #Baçaim #Goa #Cambaya #Meca #Guzarate #Decan #Canara #Malavar #Aceira #Coeja #São Sebastião  

第4の時代 第9書第1章 ポルトガルによるインド北方海岸の情報収集

  【 4-9-1 】 マルティン・アフォンソ・デ・ソウザが船団総司令官として王国を出発し、インド海へ。ヌノ・ダ・クーニャ総督が北へ向かう準備を整えたこと。マゴーレス王とカンバヤ王の間で交わされた使者のこと。 【 Summary 】 マルティン・アフォンソ・デ・ソウザはポルトガル王の命でインド洋遠征の船団長として出航し、ゴアに無事到着。総督ヌーノ・ダ・クーニャは北方遠征の準備を進め、カンバヤとディオの情勢を探る。遠征中、ソルターン・バドルの行動を監視しつつ、マルティン・アフォンソは沿岸を偵察。ディオの駐屯軍や要塞の状況を確認した。北方では大軍を率いたバドルの動きに備え、情報を得た後、総督は艦隊を整え、正式な外交儀礼と武装で迎え、イスラム諸都市への威信を示した。全ての船は無事到着し、任務は成功した。 #Martim Afonso de Sousa #Nuno da Cunha #Dom Pedro de Castello Branco #Diogo Lopez de Sousa #Antonio de Brito #Simão Guedes #Tristão Gomez da Mina #Manoel de Sousa de Sepulveda #Dom Diogo d'Almeida Freire #Fernão de Sousa de Tavora #Francisco de Sá dos Oculos #Martim Correa da Sylva #Pero Botelho #Jorge de Sousa #Antonio da Cunha #Jorge Cabral #Antonio da Sylveira #Xacoes #Melique Tocão #Badur #Hamau Paxá #Reino #Mar da India #Goa #Cochim #Ormuz #Cambaya #Dyo #Uyo #Amadaba #Baçaim #Surrate #São Dinis

第4の時代 第8書第14章 オスマン朝によるペルシア侵攻の失敗

  【 4-8-14 】 トルコ人スレイマンが、ペルシャの王ザタマスに対して行った遠征、そして、   が彼の領地を通ってタブリーズの街に入ったこと。そして、彼が退却したとき、ペルシャ人が彼に襲いかかり、彼を打ち負かしたこと、その他について。 【 Summary 】 トルコのスレイマンはペルシア王サタマスに対して遠征を行い、タブリスまで進軍した。途中、天候や補給不足に悩まされ、撤退を余儀なくされる。スレイマン軍はバビロニアで権威を示すが、サタマスは追撃し戦闘が続く。デルアメテス率いるペルシア軍が奇襲を仕掛け、トルコ軍に大打撃を与え、多数の捕虜を得た。この敗北に激怒したスレイマンは遠征の主要責任者アブラハオ・バクサを処刑。結果として、ペルシア側が勝利し、トルコ軍は甚大な損害を被った。 #Soleimão #Xathamas #Becramo #Hescas #Osem Mirza #Abrahãoa Baxa #Roxolana #Hulamanes #Mahometes #Delamethes #Ismael #Grão Çofi #Berchramo #Babylonia #Assyria #Mesopotamia #Baçora #Eufrates #Tabris #Licaonia #Coy #Armenia Mayor #Sulthama #Caranuda #Tauro #Bethlis #Constantinopla #Ponga #Escander Baxá #Bajazeto #Osembel #Oseucasan  

第4の時代 第8書第13章 ポルトガルによるモルッカ諸島の支配

  【 4-8-13 】 今年、マルク諸島で起こる出来事について。そして、その群島の領主たちがキリスト教徒になることについて。また、トリスタン・デ・タデがタバリヤ王を捕らえ、彼をインドに送ったこと、そして彼の兄弟アイロを王位に就かせたこと、そして、彼に王位を譲りたくなかった母親に対して彼らが残した残酷な行為について。 【 Summary 】 トリスタン・デ・タイデはマルク諸島の統治を行い、現地の王や女王を安定させた。モモヤの領主はゴンサロ・ヴェローゾの助言でキリスト教に改宗し、ポルトガル式の洗礼を受けた。その後、王タバリージャは陰謀により捕らえられ、インドに送られた。彼の弟エイロが王に即位したが、母親は息子を守ろうとして抵抗し、無理やり連れ去られる悲劇が起きた。この事件は諸島中に衝撃を与え、他の王たちもポルトガルの権力を警戒するようになった。結果、マルクは物資不足や不安定な状態に陥った。 #Tristão de Taide #Tabarija #Aeiro #Gonçalo Veloso #Dom João #Simão Vaz #Francisco Alvarez #Ternate #Momoya #Maluco  

第4の時代 第8書第12章 ウジャンタナ王に対する勝利とバンダ諸島の香料貿易

  【 4-8-12 】 ドン・エステヴァン・ダ・ガマがウジャンタナの王に敵対し、その都市を完全に破壊したこと。そして、王がバンダ諸島から得る利益と、その産物の質について。 【 Summary 】 ドン・エステヴァン・ダ・ガマは兄ドン・パウロの復讐として、ウジャンタナ王の町を攻撃し完全に破壊した。約五百人のポルトガル兵と二百人の現地兵を率い、五隻のナオと十二隻のフスタを用いた。敵ラグ・シメナは三千人で抵抗したが敗北、王は逃亡。町は略奪され焼き払われた。さらに、エステヴァンはバンダ諸島の香料とナッツの貿易を整え、王への年貢として多くの収入を確保した。バンダ諸島の樹木はナッツやマッサの収穫量が多く、香辛料としてインド洋交易で重要視されていた。貿易の管理は当初正確であったが、後に管理者の不正や横領で制度が乱れた。 #Dom Estevão da Gama #Dom Christovão da Gama #Vasco da Cunha #Antonio de Brito #Dom Francisco de Lima #Balthesar Leite #Juzarte Freire #Thome Raposo #Fernão Gomez Cabreira #Diogo da Cunha #Alvaro Carvalho #Lourenço d'Abreu #Gaspar Soares Pimentel #Antonio Ferraz #Manoel Pinto #Manoel Mendez #Francisco Mendez #Diogo Vaz #Lac Ximena #Malaca #Bintão #Sincapura #Canal de Varela #Rio Jor #Ponta de Romania #Banda #Maluco #Lontor #Neira #Puloay #Pulorum #Gunuape #Persas #Arabios #India #Ujantana

第4の時代 第8書第11章 マレーのウジャンタナ王との戦闘

  【 4-8-11 】 ドム・エステヴァン・ダ・ガマがマラッカに到着したときの出来事。そして、ウジャタナ王の船長ラック・シメナがマラッカを訪れ、ドム・パウロ・ダ・ガマが彼を迎えに出て、ドム・パウロが殺され、敗北した残酷な戦いについて。 【 Summary 】 ドン・エステヴァン・ダ・ガマはゴアからマラッカへ到着し、兄ドン・パウロ・ダ・ガマに要塞を引き渡された。まもなく、ウジャンタナ王ラグ・シメナが率いる敵艦隊と激戦となり、ドン・パウロは戦死。ジョアン・ロドリゲス・デ・ソウザ、アンドレ・カスコらも戦死または重傷を負った。戦闘は夜に終わり、生存者はマラッカに戻る。エステヴァンは負傷者を手厚く手当てし、戦死者を埋葬。ジョアン・ロドリゲスの遺骨は後にマルティン・アフォンソ・デ・ソウザ総督によってゴアに運ばれ、盛大に葬儀が行われた。この戦闘はマレー人の間でも語り継がれ、ドン・パウロの勇敢さは高く評価された。 #Dom Estevão da Gama #Malaca #Dom Paulo da Gama #Lac Ximena #Ujantana #Pero Mascarenhas #Pongor #Andre Casco #Simão Sodre #João Rodriguez de Sousa #Balthesar Leite #Juzarte Freire #Miguel Freire #Sancho Sanches #Bernardo Queimado #Jorge Fernandez Borges #Luis Alvarez #Martim Afonso de Sousa #Ruy Vaz Pereira #Goa #Sé Matris #Dom Garçia de Noronha  

第4の時代 第8書第10章 ポルトガル軍のアラビア海支配

  【 4-8-10 】 海峡の航海でディオゴ・ダ・シルベイラに起こった出来事。そして、ドム・ペドロ・デ・カステロ・ブランコがキャラベル船団を率いてゴアに到着した経緯。 【 Summary 】 ディオゴ・ダ・シルヴェイラはチャウルを出航し、アラビア海岸とフェリックス岬付近でカンバヤやアチェの船を捕獲、戦利品をマスカットまで運び、ガレー船でオルムズに冬越し。総額約 8 万パルダオの収益を得た。一方、ドン・ペドロ・デ・カステロ・ブランコ率いるキャラベル艦隊はモザンビーク経由でゴアに到着。総督ヌーノ・ダ・クーニャは港で歓迎し、艦隊員に宿舎を与えた。これらの艦隊によってインドの港は十分な船と人員で整備され、各船の船長や士官は恒常的に任命され、迅速な出航と作戦遂行が可能であった。当時のインド運営は効率的で人材も豊富であり、戦争・補給・財政管理は秩序立って行われたが、後に管理の不備や兵士の金銭優先による衰退が起こった。 #Diogo da Sylveira #Chaul #Costa de Arabia #Monte de Felix #Cambaya #Achem #Mascate #Ormuz #Dom Pedro de Castello Branco #Mossambique #Goa #Dom João Pereira #Dom Gonçalo Coutinho #Nuno da Cunha #Dom Antão de Noronha #Ribeira d'elRey