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第6の時代 第7書第6章 スーラトでのペグーのムスリム船攻撃

フランシスコ・デ・サがスラトでムスリム商人の数隻の船に遭遇したこと、また総督ガルシア・デ・サがモルッカの案件を処理し、 2 人の娘を結婚させたこと。 フランシスコ・デ・サ・デ・メネゼスはスラト沖でアチェ船を待っていたが、 3 月半ばにペグー沿岸ヴァナサリン港から来た富裕なムスリム船 2 隻とガレオタ 1 隻を発見し、攻撃を試みた。砲撃で敵船上部を損傷させ多数を殺傷したが、敵も強力な砲火で応戦し、海況も悪かったため拿捕はできず、敵船はスラト港内へ逃れた。彼は損傷船を率いてバサイン経由でゴアへ戻った。総督ガルシア・デ・サは帰還後、モルッカ統治問題とジョルダン・デ・フレイタスの訴訟を整理し、ベルナルジン・デ・ソウザとの対立を避けるためクリストヴァン・デ・サを密命付きで派遣した。さらにディウやオルムズの守備も整えたのち、老境にあった自身は 2 人の娘、ドナ・レオノールをマノエル・デ・ソウザ・デ・セプルヴェダに、ドナ・ジョアナをドン・アントニオ・デ・ノローニャに嫁がせた。 #Surrate, #Vanaçarim, #Pegú, #Baçaim, #Goa, #Maluco, #Dio, #Ormuz, #Malaca, #Portugal, #Aveiro

第6の時代 第5書第2章 ポルトガルのアチェ艦隊に対する勝利

どのように我らの艦隊がパルレス川で敵を発見したか、また我らが勝利を得た戦い、さらにイエズス会士フランシスコ・ザビエル神父が説教中にその勝利を神示によって知り、直ちに人々へ告げたことについて ポルトガル艦隊はクダ川を出航し、翌夕パルレス川に到着した。偵察により敵のアチェ艦隊が川上三レグアに停泊していると判明し、総指揮官ドン・フランシスコ・デサは攻撃を決定した。ディオゴ・ソアレス・デ・メロが水路を測り、軽くしたカラヴェラ船を川へ進入させて待ち伏せの準備を整える。偵察の結果、敵はポルトガル船を商船と誤認して警戒を解いた。翌 1545 年 12 月 6 日、両軍は川で遭遇し戦闘が始まる。ポルトガル側の砲撃が敵ガレー船を貫いて沈め、続いて接舷戦となり激戦が展開された。ディオゴ・ソアレス・デ・メロは自ら敵ガレーに乗り込み全員を討ち取り、他の船も撃沈または拿捕された。戦闘は午前九時頃に終わり、川は血で赤く染まった。追撃も議論されたが、同盟国の領内での戦闘拡大を避け撤退が決まった。一方マラッカでは、敵来襲を恐れていた人々の前でイエズス会士フランシスコ・ザビエルが説教中に突然神示を受け、ポルトガル艦隊がアチェ艦隊に勝利したと告げた。数日後、実際に勝利の報が届き、人々は歓喜し神への感謝を捧げた。 #Parlés, #Quedá, #Malaca, #Achém, #Perá, #Pulo Botum, #Pegú, #Muar

第6の時代 第5書第1章 テルナテ遠征とアチェの対マラッカ艦隊

ベルナルディン・デ・ソウザの遠征で起こった出来事、またアチェの艦隊がマラッカへ向かったこと、さらにドン・フランシスコ・デサがそれを追撃し、その途中で起こった出来事について ベルナルディン・デ・ソウザは 1545 年 12 月初め、テルナテ島を掌握するため艦隊で到着した。彼は密かに上陸して要塞に入り、守将ジョルダン・デ・フレイタスに王の到来を知らせず指揮権を受け取った。その後、捕らえられていた王を上陸させ、数日後に住民と首長を集めて儀式を行い、ポルトガル王の名のもとに王国を正式にアエイロ王へ返還し忠誠を確認させた。一方マラッカ周辺では、ヴィアンタナ王スルタン・アラウディンシャーがパタニ王との対立から諸王を集め、約 300 隻・ 8000 人の大艦隊を編成した。マラッカの隊長シモン・デ・メロは、パタニにいたディオゴ・ソアレス・デ・メロへ退去を勧め、彼は 70 人ほどのポルトガル人とガレー船で帰航する途中この大艦隊に遭遇したが、諸王は友好関係にあったため訪問して礼を交わし、港でモンスーンを待つ許可を得た。さらに同時期、アチェ王が 20 隻の艦隊を送りマラッカ近海で掠奪を行ったため、守備隊長シモン・デ・メロはドン・フランシスコ・デサを指揮官として追撃艦隊を編成した。艦隊はペラからクダ方面へ進み敵を追ったが、補給不足を理由に帰還を主張する者が現れ動揺が起こる。これに対しディオゴ・ソアレス・デ・メロが激しく叱責して士気を保ち、艦隊はさらに進んでパルレス川方面へ敵を追撃することになった。 #Ternate, #Malaca, #Bintão, #Viantana, #Patane, #Perá, #Pão, #Jor, #China, #Calatão, #Achém, #Sabão, #Queda, #Pulo Botum, #Parlés

第4の時代 第8書第10章 ポルトガル軍のアラビア海支配

  【 4-8-10 】 海峡の航海でディオゴ・ダ・シルベイラに起こった出来事。そして、ドム・ペドロ・デ・カステロ・ブランコがキャラベル船団を率いてゴアに到着した経緯。 【 Summary 】 ディオゴ・ダ・シルヴェイラはチャウルを出航し、アラビア海岸とフェリックス岬付近でカンバヤやアチェの船を捕獲、戦利品をマスカットまで運び、ガレー船でオルムズに冬越し。総額約 8 万パルダオの収益を得た。一方、ドン・ペドロ・デ・カステロ・ブランコ率いるキャラベル艦隊はモザンビーク経由でゴアに到着。総督ヌーノ・ダ・クーニャは港で歓迎し、艦隊員に宿舎を与えた。これらの艦隊によってインドの港は十分な船と人員で整備され、各船の船長や士官は恒常的に任命され、迅速な出航と作戦遂行が可能であった。当時のインド運営は効率的で人材も豊富であり、戦争・補給・財政管理は秩序立って行われたが、後に管理の不備や兵士の金銭優先による衰退が起こった。 #Diogo da Sylveira #Chaul #Costa de Arabia #Monte de Felix #Cambaya #Achem #Mascate #Ormuz #Dom Pedro de Castello Branco #Mossambique #Goa #Dom João Pereira #Dom Gonçalo Coutinho #Nuno da Cunha #Dom Antão de Noronha #Ribeira d'elRey  

第4の時代 第5書第9章 アチェ王の謀略とシナヤ・デ・ラヤの処刑

 第4の時代 第5書第9章 【 4-5-9 】アチェの王 が計略を用いてマヌエル・パシェコのガレオン船を襲った次第。マラッカのシナヤ・デ・ラヤ・シェリ がアチェ人と共謀した密約が発見され、彼が処刑された次第。 【 Summary 】 アチェ王はマラッカのガレー船を誤って拿捕し、マヌエル・パチェコらポルトガル人を捕える。ガルシア・デ・サは和平交渉を試みるが、アチェの策略により使者は殺害され、ガレー船も奪われる。少数のポルトガル兵が要塞に籠城する中、アチェ軍とシナヤ・デ・ラヤの間の秘密交渉や陰謀が明らかになる。最終的に、マラッカのポルトガル側は悪巧みに対処し、裏切り者を制裁して要塞を守ることに成功する。 #elreydoAchem #ManoelPacheco #SinayadeRaya #GarciadeSã #PeroDeFaria #AntonioCaldeira #TuãoMafamede #PeroMascarenhas #SimãodeSousa   #rey de Aru, #Malaca #Ujantana #Bintão      

第4の時代 第5書第8章 アチェ王の謀略とポルトガル人捕虜事件

 第4の時代 第5書第8 章 【 4-5-8 】ガルシア・デ・サ が到着するまで、マラッカにおいて生じたこと。アチェ王が自分たちの港に何隻かのナヴィオ船を捕まえて来ることが可能かどうか知るために、ペロ・デ・ファリアに対して用いた策略について。その他に生じたこと。 【 Summary 】 アチェ王はシマオン・デ・ソウザのガレー船の捕獲で増長し、マラッカ港でポルトガル船を捕らえようと画策。彼は囚人アントニオ・カルデイラを使い、ポルトガル側に友好と引き換えの捕虜返還を提案。ペロ・デ・ファリアは一時これを信じ和平を受け入れるが、マルティン・コレアはアチェの意図を疑う。最終的に両王の協議は進まず、フェルナン・デ・モライスがアチェの港へ赴くも拘束される。ポルトガル艦隊の攻勢も実を結ばず、アチェとアルー王の対立でポルトガル人は残酷な捕虜となる。 #Garcia de Sã, #Achem, #Pero de Faria, #Simão de Sousa, #Malaca, #elrey d'Arú, #Diogo de Maçedo, #Martim Correa, #Antonio Caldeira, #Pacem, #Fernão de Morais, #Paçem

第4の時代 第4書第7章 シマン・デ・ソウザ・ガルヴァンの最期とアチェ海戦

 第4の時代 第4書第7章 【 4-4-7 】シマン・デ・ソウザ・ガルヴァンがマルクへの途上、思いがけない天候でアチェの港に着岸した次第。アチェの一艦隊とそこで交えた激しく驚くべき戦い、そこで彼〔ガルヴァン〕が斃れ、ガレー船が掠奪されたこと。 【 Summary 】 シマン・デ・ソウザ・ガルヴァンは、ペロ・デ・ファリア隊と別れて荒天の末アチェ海口へ漂着する。敵意を隠す王の誘いを断るが、夜襲で始まった大規模戦闘で、わずか 70 名ほどの乗員は数千のアチェ軍を二度にわたり撃退。壮絶な白兵戦と火器戦が三時間続き、多くの敵を倒すも、劣勢の中ついに総攻撃を受け、シマンや諸将が戦死。ガレー船は奪取され、生存者は捕虜となった。 #SimãoDeSousaGalvão, #PeroDeFaria, #ManoelDeSousa, #DomAntonioDeCrasto, #AntonioCaldeira, #JorgedAbreu, #DuarteGalvão, #JorgeGalvão, #ManoelGalvão, #RuyGalvão, #Jasão, #Mafamede,  #Cochim, #golfoDeNicubar, #Nicubar, #barraDoAchem, #Achem,#India

第4の時代 第3書第1章 スンダ遠征とアチェ沖のトルコ船拿捕

 第4の時代 第3書第1章 【 4-3-1 】フランシスコ・デ・サの遠征中に起きたこと 。ジャワ島に関する記述について。マルコ・ポーロの大ジャワ・小ジャワについて。フランシスコ・デ・メロ がアチェの港口でトルコ人たちのナウ船を降伏させた次第。 【 Summary 】 フランシスコ・デ・サはスンダに要塞建設のため出航するも暴風に遭い艦隊が分散。ジャオア島の詳細を調査し、ジャオア・メノールとマルコ・ポーロのジャオア・マイオールを区別。スンダ王国の港バンタで要塞建設を交渉するも拒否され撤退。フランシスコ・デ・メロはアチェ沖でトルコ船を砲撃・拿捕し、敵を海に逃がす。艦隊は最終的にコチンへ向かうが、ゴアには到達できず。 #FranciscodeSã #FranciscodeMelo #PeroMascarenhas #Malaca #Bintão #Sunda #DuarteCoelho #Jaoa #Balabuão #BoqueirãoDaSunda #Paneruca #Ovalled #Agasai #Sodayo #Panião #Tubão #Berodão #Cajoão #Japara #Cerinhamá #Damo #Margão #Banta #Andreguir #Macar #Ternate #Çamatra #Achem #Meca #Cochim #Goa #Rumes #Turcos #Chincheo #DomJoão #CondeAlmirante