第6の時代 第9書第21章 サン・ジョアン号のカフラリア(アフリカ南部)での難破

本国へ向かった船団の出来事と、ガレオン船「サン・ジョアン」がカフラリア沿岸で遭難した不運な破船について。


コーチンを出発した帰国船団のうち四隻は嵐に遭いながらも無事ポルトガルへ到達したが、「サン・ジェロニモ」は航海中に消息を絶った。一方、マノエル・デ・ソウザ・デ・セプルヴェダが指揮するガレオン船「サン・ジョアン」は、喜望峰付近で激しい暴風に遭遇した。老朽化した帆や装備の破損が続き、荒海の中で舵の部材が折れ、やがて主帆柱も折損して船は操縦不能となった。乗組員は即席の帆や舵を作って航行を試みたが、船体は浸水を始め、ついにアフリカ南岸へ流される。6月18日、彼らは陸地を視認し、これ以上の航行は不可能と判断して浅瀬に船を座礁させ、乗員を小舟で岸へ移そうとした。セプルヴェダは妻子や有力な乗員とともにまず上陸し、残りの者も続いたが、作業中に小舟が沈み溺死者が出た。やがて船は完全に砕け、約500人が海へ投げ出され、40人ほどのポルトガル人と70人の奴隷が溺死し、残りは負傷しながらも海岸へたどり着いた。こうしてサン・ジョアン号の航海は大惨事となり、彼らは未知のアフリカ沿岸で生き延びる道を探さねばならなくなった。


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