第6の時代 第10書第16章 グジャラート王国の反乱とポルトガルのディウ攻撃

グジャラート王国でスルタン・マフムードの死によって起こった反乱、そしてディオゴ・デ・アルメイダがディウの町を襲撃して破壊したことについて。


グジャラート王国のスルタン・マフムードは残虐で恐怖政治を行う暴君であり、臣民から深く憎まれていた。彼は宮中に多数の女性を囲い、妊娠した者の腹を裂かせて胎児を取り出させるなど残虐な行為を楽しんだという。やがて彼は側近の従者ボランディンに暗殺されるが、その従者もすぐに有力武将に殺され、王国は混乱に陥った。諸将はそれぞれ軍勢を集めて権力争いを始め、最終的に幼い王子ハネドシャーを王位に据え、マドレ・マルコが実権を握った。しかし各地の総督たちは独立して勢力を拡大し、王国は分裂状態となった。この混乱の中でディウの支配者シーデ・エラルは町を掌握し、ポルトガル側と関税を分け合う協定を結んだものの、町のムスリム兵士たちはポルトガル人を侮辱し衝突が続いた。これに怒ったディオゴ・デ・アルメイダは約500人の兵を率いて夜明けにディウ市街を急襲し、ムスリムの家屋を襲撃して多くを殺害し、町を徹底的に破壊した。結果としてムスリム側は屈服し、ポルトガル人に対する敵意は一時的に抑えられた。その後ジョルジェ・デ・メネゼスが副王の命令を携えて到着し、ディオゴ・デ・アルメイダは要塞の指揮を引き渡してコーチンへ向かった。


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