第6の時代 第8書第3章 マラバールの紛争とセイロンからの救援要請

総督ジョルジェ・カブラルがコーチンへ出航したこと、そこで起こった出来事、さらにコッテ王がマドゥネに対する援助を求めたことについて。


コーチン司令官フランシスコ・ダ・シルヴァからマラバール諸王の対立について報告を受けた総督ジョルジェ・カブラルは、胡椒貿易に支障が出ることを恐れて自らコーチンへ向かう決意をした。彼は艦隊を整備して1549年11月にゴアを出航し、30余隻の大型船と約50隻の櫂船を率いてコーチンに到着し、胡椒積み込みの監督に当たった。しかし胡椒の王がカモリン側についたため輸送が妨げられ、川の砦にいたムスリム勢力を攻撃して排除した。その頃、コッテ王が使節を送り、弟マドゥネに国を奪われ包囲されているため援軍を求めた。評議の結果、ポルトガル側は同盟国救援と利益確保のため出兵を決定し、ドン・ジョルジェ・デ・カストロに600人の兵を率いさせた。またこの時、船長ジャコメ・トリスタンが市中で何者かに斧で殺害される事件が起こったが、犯人は不明のままだった。


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