Décadas da Asiaアジアのデカダ集 解題







『アジアのデカダ集』Décadas da Asia

 本書は、ジョアン・デ・バロスJoão de Barros (1469―1570)の歴史書『アジアのデカダ集』の続編としてコウトが著した、インディア領(エスタード・ダ・インディア)の歴史書である。そのフルタイトルはバロスのそれをほぼ踏襲した『ポルトガル人が東方の陸と海での征服と発見に際して行なった数々の行為に関するアジアのデカダ集』である。16世紀前半から17世紀初頭にかけてのアフリカから東アジアに至るインディア領各地の動向を記録したもので、特にインド、東南アジア、西アジアについては、現地語の史資料にはない情報を提供する同時代史料として高い価値を有する。
 本書はその書名のとおり、「デカダ」década(ここでは「十書」の意)と題する各巻の集合体である。1595年、国王フィリーペ一世によってコウトがインディア領修史官に任じられた時、バロスの第四デカダは未完だったため、本書はその欠を補うべく第四デカダを起点とし、第一二デカダまでの全九デカダから成っている。各デカダはバロスのそれと同じく、一〇の「書」livroから成っており(最後の第一二デカダのみ五書)、各書は複数の「章」capítuloに細分される。ただし要約版のみが伝わる第八デカダと第九デカダは、書の区分を備えず、章のみによって構成されている(原本が散逸し後代に編纂された第一一デカダも同様)。各デカダの一〇書構成がおおよそ貫徹しているところにはコウトの様式意識を認められるが、各書が含む章の数や分量については差異が著しい。なおコウトの原稿の送付先であり、その出版に尽力した義兄アデオダートが出版までに様々な改作を施し、章の構成も改めていたことが明らかになっている[Seabra 2019: 120 ff.]。版本の構成や内容には著者コウトの意図しなかった改変が含まれていることには要注意である。
 青年期以降の人生の大半をインドのゴアで過ごしたコウトは修史官に任じられる前から歴史書の執筆を進めていた(1589年の国王宛書簡で彼はインディア領修史官の任務を請願した)。そのため彼が最初に着手したのは、当代に最も近い時期をカバーする第一〇デカダであった。その後に第四デカダから第七デカダまでが順次執筆されるが、それ以降のデカダは必ずしも時代順に執筆されたわけではない。また原稿が散逸したり盗難に遭ったりしたため、再稿や要約稿をコウトが別途執筆したデカダもある。さらに本国に送られた原稿がすぐに出版されたわけでもなく、コウトの没後に公刊されたデカダも複数ある。かくのごとくに複雑な本書成立の詳細は、以下、各デカダについて記すとおりである。
 『デカダ集』の複雑な性格はその典拠についても当てはまる。コウトはインディア領トルレ・ド・トンボの館長として、各地からゴアに送られてくる公文書をこの歴史書の執筆に活用できる立場にあった。また関係者からの口頭の証言も彼の著作の素材となった。一方カスタニェーダやコレイアの歴史書 、ラムーズィオの旅行記集成 、オルタの本草学書 など、インディア領やヨーロッパで執筆された公刊・未公刊の著作も情報源となっている。また典拠への依拠は必ずしも明記されていないうえ、クルスによれば、引用の過程で生じた書写上の錯誤によって典拠の原意が誤って本書に伝わっている事例も数多い[Cruz 2019: 111-114]。さらにクルスの言を重ねれば、コウトの著作は「パッチワークの毛布」というべき、推敲を欠いた未完のスケッチのごとくであり、念入りに仕上げられたバロスの著作とはまるで異なるという[Cruz 2019: 101-102]。『デカダ集』の情報源については、ロウレイロの精緻な研究[Loureiro 1998]によって筋道が付けられているので、今後徹底的に取り組まれるべき課題である。
 さて『デカダ集』全九デカダをカバーする唯一の版本は1778年から1788年にかけて王立印刷所から全十四冊および索引一冊で順次刊行された。これはバロスの『デカダ集』全四デカダおよびバロス伝(ファリア著)・索引と併せ、都合二十四冊にわたるシリーズをなす。この版本は1970年代にリプリントが出版されたこともあり、広く研究者に流布している(以下「通行版」と呼称する) 。通行版は全体としては二次的な編纂物であるが、第一〇デカダのようにこの版で初めて公刊されたデカダも含んでいるため、一次的な史料価値をも有する。なお本稿で訳出したファリア著のコウト伝および章題の翻訳は、通行版を底本とした。
 通行版以前に、コウト『デカダ集』全編の出版を試みた例があるが、これは第四デカダから第九デカダまでを含むに過ぎない(以下「1736年版」) 。しかし第九デカダを初めて印刷に付した点では、この版にも一次的な史料価値がある。
 以下に各デカダが記述する年代(デカダ名に後続して角括弧内に示す)、執筆時期、初版や出版の経緯などの書誌的情報を、おもにロウレイロの研究を参考にしつつ概述する[Loureiro 1998]。
 第四デカダ[1526~1536] 1595年末から1596年にかけて執筆された。コウトが下記第一〇デカダに続いて、二番目に着手したデカダである。原稿は1598年に本国に発送され、1602年に印刷の認可を得て同年中に出版された〔初版Lisboa: Pedro Crasbeeck, 1602〕。 初版本を底本とした批判校訂版が出版されている 。
 第五デカダ[1536~1545] 1596年から1597年末までに執筆された。原稿は1598年に本国に発送され、1602年に印刷の認可が下りたものの、初版の刊行は遅れた〔初版Lisboa: Pedro Crasbeeck, 1612〕。 なおライデン大学所蔵の手稿本(17世紀)は、章の構成も含め、初版や通行版とは異なるテクストを呈している 。
 第六デカダ[1545~1554] 1597年に執筆。原稿は1599年に発送されたが、様々な検閲機関のもとに留め置かれ、出版は遅れた〔初版Lisboa: Pedro Crasbeeck, 1612〕。1614年の年代を扉に備える版本もある。これは初版の刊行後、クラスベク印刷所の火災で扉の葉が消失したことにより、1614年に印刷された新たな扉が用いられたためである。
 第七デカダ[1554~1564] 1601年ごろに執筆は完了し、同年発送された。しかし原稿を積んだナウが本国に向けての航海中、オランダの海賊に拿捕されたため、原稿は行方不明となった。コウトは手もとに残っていた資料をもとに、新たな原稿を執筆し、1603年末にこの新稿を本国に発送した。出版の認可が得られたのは1613年、刊行はさらにその三年後であった〔初版Lisboa: Pedro Crasbeeck, 1616〕。 
 第八デカダ[1564~1571] 1615年までには執筆が完了していたが、同年、コウトの書斎が盗難に遭い、本デカダおよび先に完成していた第九デカダの原稿が失われた。コウトは両デカダの要約稿を作成し、1616年初頭にこれを完成させた。要約稿ゆえか、両デカダは「書」の区分を持たず、「章」のみで構成されている。本デカダの出版は著者の死後、1673年のことであった。〔初版Lisboa: João da Costa & Diogo Soares, 1673〕。 なおポルト公共図書館とマドリード国立図書館には、七つの「書」から構成される、より大規模なテクストを備えた本デカダの写本が所蔵されており、両者を底本とした校訂本も出版されている 。これらの異本の祖本については、コウトの遺族が保管していた草稿を、1626年、当時のインディア領副王にしてコウトのパトロンでもあったフランシスコ・ダ・ガマが本国に発送したという「インディア史の第八デカダ」にあたる可能性が指摘されている[Loureiro 1998: 271-272]。
 第九デカダ[1571~] 1613年までには完成していたが、1615年、第八デカダとともに盗難によって原稿が失われたため、要約稿が急遽作成された。この要約稿は第八デカダ要約稿とともに、1616年に本国に送られたが、その出版は第八デカダよりもさらに遅れ、1736年版の一部として刊行されたのが最初の版本である。但しそのテクストは第三二章(1575年頃の記事)の途中で中断しているし、現存する部分にもテクストの不備が認められる箇所がある[Loureiro 1998: 295-296]。
 第一〇デカダ[一五八〇~一五八八] 1599年ないし1600年に執筆を完了しており、本デカダは『デカダ集』のうちコウトが最初に仕上げた部分である。原稿は1600年末、本国に発送されたが、何らかの理由で印刷されないまま放置された。本デカダは1736年版にも結局収録されず、その公刊は通行版を待たねばならなかった。コウトの自筆原稿はブラジル国立図書館とトルレ・ド・トンボ文書館に分散して伝世しており、これに基づく批判版の作成が待たれる[Garcia 2019: 37]。
 第一一デカダ 今日まで本デカダの伝本は知られていない。散逸した本デカダについて通行版は、様々な資料から素材を借用して作成したテクストを第一一デカダに仕立て上げている。これにはもちろん第二義的な史料価値しかないが、それでもコウトの著作が活用されている部分はある。通行版第一章から第四章までの部分は、コウトの別著作『ドン・パウロ・デ・リマ・ペレイラ伝』(1611年完成)のテクストを借用したものである。1589年に生じたサン・トメ号の難船で命を落としたペレイラの事績に関する記事がそれにあたるが、これは実は本デカダの当初の原稿を転用して編まれていたものである。散逸したテクストは、かくのごとく複雑な経緯を経て、通行版の補充テクストに還流したわけである。
 第一二デカダ[1597~1600] 本デカダは五書から成る。コウトは1611年にこれを執筆中であり、死去する1616年までに第五書までの原稿を本国に発送した。出版の認可が得られたのは著者の死後、1628年のことであったが、これは1645年、当時パリにポルトガル大使として駐在していたヴァスコ・ルイス・ダ・ガマ(フランシスコ・ダ・ガマの子)に献呈するべく、同地で活動していた著述家マヌエル・フェルナンデス・ヴィラ・レアルによって刊行された〔初版:Paris: Livraria d'Alcobaça, 1645〕。
 コウトのその他の著作を、散逸したものも含め、判明する限り年代順に列挙すれば以下のごとくである。
『老練なる兵士』O Soldado Prático .(当初稿と改訂稿の二種あり)
『ルジアダス注解』Comentário d'Os Lusíadas.(伝本なし)
『勇敢なるカピタン、ヴァスコ・ダ・ガマに生じた出来事および彼のすべての息子たちに生じた出来事のすべてに関する小論』Tratado de todas as cousas succedidas ao valeroso Capitão D. Vasco da Gama, (...), e das cousas, que succederão nella a todos seus filhos .
『インディア史梗概』Epílogo da História da Índia. (伝本なし)
『エチオピア王国史』Historia do Reyno de Ethiopia, (...).(伝本なし)
『ドン・パウロ・デ・リマ・ペレイラ伝』Vida de D. Paulo de Lima Pereira .
 以上の著作の他、ファリアによると「一冊の大歌集」があり、「インディアの交易」に関する書物も計画されていたが未完に終わったという。
 書籍とは別にコウトは、総督・副王の着任やその他のしかるべき機会に行われた演説文を起草した 。またコウトが発信した書簡も伝世している[Garcia 2019: 38-39]。


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